バイブル・エッセー(995)揺るぎない人生の土台

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揺るぎない人生の土台

「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。」(マルコ13:24-32)

 世界の終わりについて語った後、イエスは「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」と言いました。世界の終わりは必ずやってくる。この世界のものにより頼み、それを人生の土台としているなら、その人の人生は世界の終わりと同時に崩れ去るだろう。しかし、神の言葉、神の愛を土台として人生を築き上げるなら、その人の人生は決して崩れない。イエスは、そう言いたかったのでしょう。わたしたちはどちらを選ぶのか、それが問われているのです。

 人生の土台をどこに置くか。それは、別の言い方をすれば、自分の人生の意味をどこに見出すかということでしょう。人生の土台を見つけるとは、何によって自分の人生を肯定し、受け入れるかということなのです。もしわたしたちが、自分は人から評価されているから、社会の中で重要な地位や身分を与えられているからという理由で自分の人生を肯定し、自分の人生に意味があると考えるなら、それは地上のものに土台を置いているということになります。もし地上のものに土台を置いているならば、世界の終わりがやって来たとき、その人は自分の人生の意味を見失うことになるでしょう。自分を評価してくれた人たちも死に、自分自身も死ぬという現実に直面したとき、社会のシステムそのものが崩壊し、地位や身分がまったく意味を持たなくなったとき、その人の人生は土台から崩れてしまうのです。

 もしわたしたちが、日々の生活の中で神の愛、神の恵みを実感し、そのことによって自分の人生をすばらしいものとして受け入れているなら、それは自分の人生の土台を神の愛に置いているということです。神の愛を信じる心を持ち続ける限り、その人の人生の土台が揺らぐことはありません。世間での評価がどう変わろうと、地位や身分がどう変わろうと、自分の人生には意味があると確信して生きることができるのです。たとえ自分の生命が尽き、死を迎えるときがやってきても、それは、その人にとって自分が人生の土台を据えた大地、目には見えない神の愛の中に帰るということにすぎません。そこには何の恐れも、心配もないのです。

 果たして、わたしたちはどちらを選んで生きているのでしょうか。わたし自身は、ときどき自分の人生の意味に疑問を感じることがあります。忙しい毎日の中で、「なんのためにこんなことをしているんだ」と感じたり、「人から馬鹿にされたらどうしよう」と恐れたりしてしまうことがあるのです。それは、まさに人生の土台をこの地上のものに置いているしるしでしょう。そんなときは、人生の土台を、また神の愛の方に置きかえるため、ただちに祈るようにしています。

 イエスが世の終わりについて語るのは、わたしたちを脅すためではなく、「何に人生の土台を置いているのか」と問いかけるためだったとわたしは思っています。この機会に、自分の人生はどこに土台を置いているのか、自分の人生に揺らぎはないか、もう一度神様の前で確認したらよいでしょう。神の愛に土台を置き、揺るぎない人生を選ぶことができるよう、心を合わせて祈りましょう。

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