【フランシスコ教皇の言葉】


フランシスコ教皇の言葉
■ミサでの説教、折々のメッセージなど■
4月10日(水)ドムス・サンタマルタでのミサ説教
「わたしたちには生きる価値がある、わたしたちには希望がある。愛による救いとはその確信に他なりません。問題は、わたしたちが自分で自分を救おうとすること、お金などによって自分を救う力があると信じることです。」
「わたしたちは虚栄やプライドによって自分を救えると思っています。自分は力強いと信じ、自分の貧しさや罪深さを虚栄やプライドで隠すのです。ですが、本当の救いは、神が復活の希望の中で返してくださったわたしたちの尊厳の中にこそあります。」
4月10日(水)一般謁見
聖霊は、わたしたちの中に神の子としての新しい身分を作り出します。これこそ、イエスの過ぎ越しの神秘から受け取る最も大きな贈り物です。神はわたしたちをご自分の子どもとして扱い、間違いを犯したときでさえわたしたちを理解し、ゆるし、抱きしめ、愛してくださいます。」
「わたしたちは神の子として生きることができます。わたしたちは神の子として生きることができるのです。これこそ、わたしたちの尊厳です。神の子として振る舞いましょう。それは、日々、キリストによって自分を変えていただき、キリストに似た者にしていただかねばならないということです。それは、自分の限界や弱さに気づいたとしても、キリスト教徒として生きようとすること、キリストに従おうとすることです。」
4月11日(木)ドムス・サンタマルタでのミサ説教
「キリストに従うとは、神の言葉に耳を傾け、神に心を開き、神が示してくださる道を進むということです。それがわたしたちを自由にします。前に進む力を与えて下さるのは、聖霊に他なりません。」
4月12日(金)ドムス・サンタマルタでのミサ説教
「主は、勝利主義がキリスト教的でないことを教えて下さいます。キリスト教徒の生活は、キリストと共に生きる日常性の中にこそあるのです。わたしたちが願わねばならない恵みは根気強さです。最後のときまで、日々、主と共に歩いていくための根気強さです。」
4月13日(土)ドムス・サンタマルタでのミサ説教
「問題を恐れてはなりません。イエスは弟子たちに『わたしだ。恐れることはない』とおっしゃいました。困難な状況に置かれたとき、問題を抱えたとき、新しい状況に立ち向かわなければならないとき、主はいつもわたしたちと共にいて下さいます。仮面をかぶせ、問題をごまかそうとするのはよい振る舞いではありません。人生はそのようなものなのです、それが現実なのです。それは神がそうあるようにと望んだこと、あるいはそうあってもよいとゆるしたことです。わたしたちは、現実をそのようなものとして受け入れなければなりません。主の霊が、問題を解決してくださるでしょう。」
4月14日(日)レジナ・チェリの祈り
「なぜ、多くの限界を抱えながら、また権威者たちの反対を受けながら、弟子たちはエルサレム中に教えを広めることができたのでしょう。彼らと共にいた復活の主の存在と聖霊の働きだけが、それを説明できます。彼らを動かして説教させたのは主であり、聖霊だったのです。」
イエス・キリストを本当に知り、信じるとき、その人は主の存在と復活の力を生活の中で体験するでしょう。そして、その体験を人々に伝えずにはいられなくなるのです。もし誤解や困難に直面するなら、その人は受難のときのイエスのように振る舞います。愛と真理の力をもってそれらに応じるのです。」
4月14日(日)城外の聖パウロ教会でのミサ説教
1.宣言
「ペトロと使徒たちによって行われた信仰宣言は、言葉だけではありませんでした。キリストへの忠実さが生活全体に及び、生活を変えられ、新しい方向を与えられていることによる宣言、生き方による宣言だったのです。」
「信仰の証は、確かにさまざまな形をとります。それはまるで、様々な色と陰によって作り上げられる偉大なフレスコ画のようなものです。目立たないものであっても、一つ一つがどれも大切です。神の大いなる計画の中では、すべての細部が重要なのです。あなたの証も、わたしの小さな証も、日々の家族や同僚、友達との交わりの中でシンプルに信仰を生きる人の隠れた証も、どれも重要です。日々の生活の中での聖人、『隠れた』聖人、わたしたちが誰でも属することのできる『聖性のミドルクラス』が存在します。」
2.証
「生活による目に見える証なしに、イエスの福音を宣言することはできません。わたしたちの言葉をよく聞き、わたしたちをよく見る人たちが、わたしたちの口からきいたことを行いの中に見られるようにしなければなりません。司祭や信徒の言行不一致は、教会の信頼性の土台を掘り崩します。」
3.礼拝
「礼拝するとは、イエスと共にあることの学びであり、イエスと対話するために立ち止まること、イエスの存在が極めて真実であり、善であり、すべてに勝って重要であるのを感じることです。」
「大小数多くの偶像を心から取り除かなければなりません。わたしたちが持ち、逃げ場所にしたり、安全の拠り所にしようとしたりしている偶像です。それらの偶像はとてもよく隠されていることもあります。野心、成功への望み、自己中心性、他者を支配する傾向、自分こそ人生の唯一の主人だという思い込み、わたしたちが縛られている罪、その他たくさんのものが偶像であり得ます。」
教皇様のツイート■
4月10日(水)
キリスト教徒であるとは、単に神の掟に従っているということではありません。それは、キリストの手に人生を委ね、人生を変えていただくということです。」
「もし神が私たちを愛してくださっているのを知り、神の子らしく振る舞うならば、私たちの人生は新たにされ、穏やかさと喜びに満たされるでしょう。」
4月14日(日)
「もしイエスの福音を宣言するなら、私たちの生活は私たちが説くことの証でなければならなりません。そのことを、忘れないようにしましょう。」
「神を礼拝するとは、隠れた偶像を取り除き、神を私たちの人生の中心に据えて、神と共にいることを学ぶという意味です。」