バイブル・エッセイ(1011)逆境の中でこそ

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逆境の中でこそ

 そのとき、イエスは十二人と一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの海岸地方から、来ていた。さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている。今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる。すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」(ルカによる福音書 6:17、20-26)

「貧しい人々」「飢えている人々」「泣いている人々」は幸いで、「富んでいるあなたがた」「満腹している人々」「笑っている人々」はむしろ不幸だとイエスは言います。世間の常識とは逆のことですが、人間の心は順境の中で神から離れやすく、逆境の中でこそ神と結ばれる。だから、逆境の中にある人たちこそ幸いだということでしょう。

 逆境の中にあってもあきらめず、神に希望を置いて前に進み続ける。それこそが幸せなのだと言ってもいいかもしれません。たとえばスポーツの選手たち。彼らは、神から自分に与えられた力を最大限に引き出し、応援してくれる人々に最高の喜びを感じてもらうために日夜努力しています。思った通りの結果が出せなかったとしても、自分に与えられた力を信じ、喜んでくれる人たちの顔を思い浮かべて日夜練習を続ける。そんな彼らの姿は、限りなく美しく、きらきら輝いているように見えます。練習は辛く、結果が出せないことは悔しいかもしれませんが、希望を捨てずに努力し続ける日々の中に、すでに幸せがある。逆境の中にあったとしても、彼らは確かに幸せだ。そう言っていいでしょう。

 逆に、目標通りに優れた成績を出した結果、思い上がって贅沢な生活におぼれたり、人を見下して孤立したりする人たちもいます。自分に与えられた使命を見失い、感謝する心をなくしてさまようそのような人たちの姿は、決して美しいものではありません。成功の中で自分を見失ってしまうなら、その人たちは不幸だと言ってもいいでしょう。残念なことですが、人間は順境の中にあるとき、すべてを自分の力で成し遂げたように思い込んで、神から離れてしまうことが多いのです。

 逆境の中にあったとしても、順境の中にあったとしても、何より大切なのは神から離れないことです。神から自分に与えられた使命を忘れず、人々の幸せのために自分のすべてを差し出して生きる。どんなに苦しくても、尊い使命を与えられ、いまこのときを生かされていること自体に感謝する。そのような生き方を選んだときにだけ、わたしたちは毎日を自分らしく生きて、心からの幸せを感じることができるのです。「祝福されよ、主に信頼する人は。彼は水のほとりに植えられた木」とエレミヤが言う通り、そのような人たちは、喜びと力に満ちあふれた生き方によって人々に希望を与え、さらに多くの幸せの実を育てることができるでしょう。

 「貧しい人々」「飢えている人々」「泣いている人々」は幸いだというイエスの言葉の中には、確かな真理が隠されています。どんな逆境にあったとしても、神と結ばれて生きるいまこのときこそが幸せなのだと気づくことができるように、どんなときでも希望を失わず、神から与えられた使命を果たすことができるように、心を合わせてお祈りしましょう。

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