バイブル・エッセイ(1036)必要なことは一つだけ

必要なことは一つだけ

 イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(ルカ10:38-42)

 妹のマリアが給仕を手伝ってくれないと苦情を言うマルタに、イエスは「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである」と言いました。イエスの弟子として生きるためにただ一つ必要なこと、それはイエスを愛することだと言ってよいでしょう。マリアは、イエスを愛することを何より優先した。それを邪魔してはいけない。イエスは、マルタにそう諭したのです。

 マルタはこのとき、「多くのことに思い悩み、心を乱している」状態でした。それはたとえば、「わたしは長女だから、お客様が来たときのおもてなしはわたしがしなければならない。もてなしが不十分なら世間様に笑われる」とか、「なぜ妹は、わたしが一生懸命に働いているのに一緒に働いてくれないのだろう。こんな妹と、いつまで一緒にいなければならないのだろうか」というようなことでしょう。マルタは、ユダヤ教社会での長女としての義務とか、妹との人間関係とか、イエス以外のさまざまなことで心を乱し、妹だけでなくイエスに対してさえ腹を立てていたのです。マルタの心は、さまざまなことにかき乱され、イエスへの愛から遠く離れていたといってよいでしょう。

 わたし自身も、マルタのようになっていることがときどきあります。仕事に追われて忙しいときなど、つい「これをやらなければ神父としての義務を果たさなかったと言って批判されるかもしれない。仕方ないからやろう」とか、「わたしがこんなに頑張っているのに、なぜみんな分かってくれないのだろう」とか、色々とつまらないことを考えて心を乱してしまうことがあるのです。挙げ句の果てに、「神様、どうしてわたしばかりこんなに忙しいのですか」と苦情を言い始めることさえあります。世間体を重んじたり、人間関係に悩んだりしているうちに、イエスへの愛からすっかり遠ざかってしまうのです。

 そのようなわたしたちに、イエスは「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである」と語りかけます。本当に必要なことは、イエスを愛することだけなのです。仕事に追われて忙しいなら、その一つひとつの仕事の中でイエスと出会うこと。イエスを愛することだけを考えるべきでしょう。幼稚園の子どもたち、刑務所の受刑者たち、教会の信徒たち一人ひとりの中にイエスがおられることを思い出し、イエスを愛することだけを考えるのです。

 奉仕するために何より大切なのは、自分が奉仕している相手の顔をしっかり見ることだといってもいいかもしれません。自分に与えられた人々の顔をしっかり見つめ、その中にイエスを見ている限り、わたしたちの心が乱れることはないのです。目の前に相手がいない場合であっても、誰のために奉仕しているのかを忘れず、自分の働きによって喜んでくれる人たちの顔を思いながら働いている限り、心が乱れることはないでしょう。余計なことを考えず、いつもイエスを愛することだけに集中できるように。いつも喜んで人々に奉仕することができるように、心を合わせてお祈りしましょう。

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