バイブル・エッセイ(1037)何を求めて祈るのか

何を求めて祈るのか

 イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」(ルカ11:1-13)

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」とイエスは言います。困難の中でくじけそうになるわたしたちの心を励ます、希望に満ちた言葉です。ただし、一つ気をつけなければならないことがあります。それは、イエスが、求めれば何でも与えられるといっているわけではないということです。父である神さまは、わたしたちに何が必要かを知っていて、本当に必要なものを与えてくださる。だから、あきらめずに求め続けなさいといっておられるのです。

「祈りを教えてください」と願う弟子たちに、イエスは「御名が崇められますように。御国が来ますように」から始まる祈りを教えました。「あれがほしい、これがほしい」とか「ああなりますように、こうなりますように」と祈るのではなく、ただ「神のみ旨が行われますように」とだけ祈りなさいというのです。これはとても理に適ったことだと思います。なぜなら、わたしたちは、自分にとって本当に必要なものが何か知らないからです。

 わたしたちはいま、先のことについてあれこれ計画を立て、いろいろなものが欲しいと思っているかもしれません。しかし、たとえば明日、病院でお医者さんから「あなたはあと半年の命です」と言われたらどうでしょうか。きっと、やりたいことも、欲しいものも、すっかり変わってしまうに違いありません。地震で家が壊れたり、勤め先が倒産したりしても同じでしょう。つまり、自分の身にこれから何が起こるか分からないわたしたちには、自分にとって本当に必要なものが何かわからないのです。

 それだけではありません。わたしたちは、自分の心が本当に求めているものが何か、わかっていないことが多いのです。たとえば、わたしたちはときどき、店先やカタログで見た高級な品物が欲しくて仕方がなくなることがあります。しかし、実際に手に入れてみると、あまり必要なものではなかったと気づいて後悔することも多いのです。一時的に何かがどうしても欲しくて仕方がなくなることを、わたしは「欲望の発作」と考えていますが、なぜそんなことが起こるかというと、それは心が満たされていないからです。素敵な品物を見て、「これさえ手に入れれば心が満たされるかも」と錯覚するとき、わたしたちはそれが欲しくて仕方なくなるのです。しかし、手に入れても、心が満たされることはありません。物によって心を満たすことは不可能だからです。

 自分の身にこれから何が起こるのかわからないわたしたち、自分自身の心が何を求めているのかさえわからないわたしたちが、「ああしたい、こうしたい」「あれが欲しい、これが欲しい」と神に願っても意味がありません。わたしたちにとって唯一意味のある祈りは、「ただあなたのみ旨が行われますように」という祈り。あらゆる執着を手放して、神さまにすべてを委ねる祈りだけなのです。神さまにすべてを委ねて祈るとき、わたしたちの心は聖霊で満たされます。心が聖霊で満たされるとき、わたしたちは自分にとって本当に必要なものが何かを知るでしょう。すべてはそこから始まるのです。「主の祈り」と共に、自分のすべてを神の手に委ねることができるように。いつも、聖霊に導かれて正しいものを求めることができるように、心を合わせてお祈りしましょう。

 

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