バイブル・エッセイ(1043)謙虚に生きる

謙虚に生きる

 イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話された。「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており、あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と言うかもしれない。そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」また、イエスは招いてくれた人にも言われた。「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」(ルカ14:7-14) 

 「招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい」とイエスは言います。そうすれば、婚宴の主催者が来て上席に案内してくれるからというのです。イエスの言葉とはいえ、これはちょっとどうでしょうか。自分が上席に案内されることを見越して末席に着くならいやらしい感じがしますし、万が一、上席に案内してもらえなかった場合には「面目をほどこす」こともできません。イエスはなぜ、こんなことを言ったのでしょう。

 おそらく、イエスがこのとき語ったのは、天国の宴席で起こることなのではないかとわたしは思います。この地上で高い地位に着いている人は、天国の宴席に招かれたとき、おそらく自分がここでも一番偉いと思って上席に着こうとするでしょう。しかし、神さまはその人に、「もっと偉い人がここに座るから、あなたは末席で我慢してください」と言うのです。

 では、もっと偉い人とは誰でしょう。それは地上で低くされていた人たちです。目立たないところで黙々と働き、社会を支えていた人たち。誰からも褒めてもらえなくても、家族のため、自分を頼ってくれる人たちのために骨身を削り、一生懸命に働いた人たち。そのような人たちは、天国の宴席に招かれたとき、きっと自分から末席に着こうとするでしょう。しかし、神さまはその人たちを目ざとく見つけて、上席に案内するのです。なぜなら、神さまの目には、自分を誇ることなく、みんなのために自分を捧げた人たち。誰かへの愛のために自分を捧げて生きた人たちこそが、本当の意味で偉い人だからです。

 実際のところ、この世界では、自分を低くしてみんなのために働いている人が上席に上げられるということはほとんどありません。人を蹴落としてでも上席に着こうとするような人が上席に着き、謙虚な人は末席に着いたままというのが残念な現実です。しかし、神さまが、謙虚な人たちを末席に着かせたままにしておくことはありません。天国の宴席では、必ず自分に一番近い席にその人たちを招き寄せてくださるのです。謙虚な人は神さまのすぐ近くで大きな喜びを味わい、傲慢な人は、自分の力を誇る傲慢さが邪魔をして神さまに近づけない。それが、天国での現実なのです。

「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」とイエスは言います。これは、この世界でもある程度まで当てはまることですが、何より神さまの前で起こることだと考えたらよいでしょう。この地上で高くされたり、低くされたりすることは、わたしたちにとっては、ある意味でどうでもいいことなのです。世間からどんなに尊敬されても、神さまから遠ざかれば不幸になるだけだし、見下されたとしても、神さまのそばにいることさえできればそれだけで十分に幸せだからです。わたしたちの幸せは、謙虚な心で人々に奉仕することの中にあり、神さまもそれを一番喜ばれる。たとえこの世界で報われなかったとしても、天国に行けばすべてがわかる。そのことを深く心に刻み、いつも謙虚な心で生きられるようお祈りしましょう。

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