バイブル・エッセイ(1053)復活の命

復活の命

 復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた。イエスは言われた。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」(ルカ20:27、34-38)

 復活した後の夫婦の関係について尋ねた人に、イエスは「復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない」と答えました。イエスが、復活とはどのようなものかについて語っている貴重な箇所です。もはや「めとることも嫁ぐこともない」復活とは、いったいどういうものなのでしょう。

 まずイエスは、「この人たちは、もはや死ぬことがない」と語っています。つまり、復活の命は、死ぬことがない永遠の命だということです。この話の中にも出てくるように、当時、めとったり嫁いだりすることの大きな目的は、子孫を残すことだと考えられていました。やがて死ぬ人間が、自分の命を後世につないでゆくとすれば、それ以外に方法がないからです。しかし、もはや死ぬことがないとすれば、めとったり嫁いだりする必要はないでしょう。だから、復活した人は、子どもを残すためにめとったり嫁いだりすることがないということになります。

 では、この地上での夫婦の関係は消えてしまうのでしょうか。そうではないと思います。神さまによって夫婦のあいだに結ばれた愛の絆は、天国で完成されると考えるのが自然でしょう。子孫を残す、家名を残すといった目的はなくなり、二人の間の純粋な愛の絆だけが残るのです。互いに完全に信頼しあっていますから、相手を疑うこともありません。もし相手が他の人たちのことも愛していたとしても、それによって自分たちの絆が揺らぐことはないとわかっていますから、不安になったり、嫉妬したりすることもないでしょう。もし、地上で7人と結婚したというようなことがあっても、特に大きな問題にはならないはずです。

 次にイエスは、復活した人は「天使に等しい者」だと語っています。天使というのがどういうものなのかよくわからないところがありますが、一つはっきりしているのは、神のみ旨のままに生きる存在だということです。神のみ旨のままに生き、互いに愛しあい、声を合わせて神を賛美する。それが、復活したあとのわたしたちの姿なのでしょう。

「復活にあずかる者として神の子」という言葉にも注目したいと思います。イエスが洗礼を受けたとき、天から「あなたはわたしの愛する子」という言葉が響いたと記されていますが、復活の世界では、わたしたち一人ひとりが直接、父なる神の口からこの言葉を聞くことになるのではないか。わたしはそんな風に想像しています。父である神の愛を、全身でしっかりと受け止め、その愛に心から感謝することによって父なる神の子となる。それが復活という出来事なのです。神さまと愛の絆で結ばれたわたしたちは、兄弟姉妹として父なる神を囲み、父なる神の愛の中で永遠に生き続けることになるのでしょう。

 そのように考えると、復活というのは本当に素晴らしい出来事のように思えます。もちろんこの世界も素晴らしいものですが、この素晴らしい世界を生き抜いた後には、もっと素晴らしい世界が待っているのです。永遠に続く神さまの恵みに感謝しながら、この地上での命を最後まで精いっぱい生きられるよう、心を合わせてお祈りしましょう。

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