バイブル・エッセイ(1059)神の力によって

神の力によって

 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れた。(マタイ1:18-24)

 天使がヨセフに現れて、「恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである」と告げる場面が読まれました。イザヤ書に記された、「おとめが身ごもって男の子を産む」という言葉が、マリアにおいて実現するというのです。この出来事は、いったい何を意味しているのでしょう。なぜ、イエスが誕生するために「おとめが身ごもる」必要があったのでしょうか。

 一つの理由は、イエスが「神の子」であることを人々にはっきりと示すことでしょう。神の意思により、神の力で身ごもった子どもだから「神の子」に間違いないということです。わたしはさらに、もう一つ深い理由があるような気がします。それは、人間の力によらずに子どもを誕生させることによって、子どもは人間の力で生まれると思い込んでいるわたしたちに、子どもは人間の力だけで生まれるものではない。人間の誕生には神の力が働いているということを、はっきり目に見える形で示すということです。

 よく子どものことを「天からの授かりもの」といいますが、子どもは確かに、人間の力だけで生まれるものではないのです。イエスに限らず、すべての子どもの誕生には、「なぜわたしに、これほど尊い命が宿ったのだろう」と思わずにいられないくらい、人間の理解を越えた、神秘的な力が働いているのです。その意味で、わたしたちは、誰もが聖霊の力によって宿った「神の子」だといってよいでしょう。おとめであるマリアが、結婚前に子どもを宿したという事実は、このことをわたしたちにはっきりと教えてくれます。どんな命も、聖霊によって宿ったかけがえのない命、「天からの授かりもの」なのです。

 天使は続けて、ヨセフに、「その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」といいました。生まれてくる子どもには、人々を救う使命が与えられているということです。この言葉にも、わたしたち一人ひとりに当てはまる、深い真理が隠されていると思います。それは、わたしたちは誰もが、神さまから、大切な使命を与えられてこの世界に生まれてくるということです。イエスには人々を救う使命が与えられ、イエスによって救われたわたしたちには、イエスを手伝う使命が与えられているのです。手伝い方は、人によって違うでしょう。ある人は、高齢者を介護することによって、ある人は、子どもたちの世話をすることによって、ある人は、みんなのために美しい音楽を演奏することによって、イエスの愛を人々のもとに運ぶ手伝いをするのです。目立つ役割も、目立たない役割もあるかもしれません。しかし、人間の目にどう映るかなど、あまり意味がないのです。イエスの使命を助けるものである限り、その人の使命は、神さまの目にどれも限りなく尊いのです。

 ヨセフに天使が語りかけるこの場面は、わたしたちに、人間の命は神によって生まれてくること。わたしたち一人ひとりに、大切な使命が与えられていることを思い起こさせてくれます。その使命を果たし、神さまから頂いた命の恵みを最大限に活かすことができるよう、心を合わせて祈りましょう。

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