バイブル・エッセイ(3) イエスの聖心の祭日


 父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。(マタイ11:27) 
 入門講座の第4回「受肉の神秘」で「イエスの聖心(みこころ)」への信心を紹介しましたが、今日5月30日は「イエスの聖心」の祭日でした。「イエスの聖心」への信心の意味は、上に引用したマタイ福音書の言葉に凝縮されていると思います。次のように考えられるからです。
 わたしたち人間は、父なる神を直接知るすべを持ちません。なぜなら、人間が時間と空間によって限定された世界の中に生きているのに対して、神は永遠と無限という人間の想像をまったく越えた世界におられるからです。人間がどれほど自分たちの理解で神をとらえようとしても、それは子どもが星を捕ろうとして空に手を伸ばすのと似ているかもしれません。だからわたしたちは本来、神がどのような心を持った方であるかを知ることができないのです。
 では、なぜわたしたちは父なる神が「愛の神」だと知ることができるのでしょうか。それは、「神の子」であると同時に人間の子であるイエス・キリストがこの世界に来られたからにほかなりません。イエス・キリストは限られた時間と永遠、有限と無限を結びつけるために神が送られた、神と人間との仲介者だということです。イエス・キリストが貧しい人々や病いで苦しんでいる人々に寄り添う心を持つ方だからこそ、わたしたちは父なる神が貧しい人や病いで苦しんでいる人に寄り添う心を持つ方だと知ることができるのです。もしイエス・キリストが来なければ、わたしたちは父なる神に対して漠然とした恐怖感を抱きながら生き続けるしかなかったかもしれません。そう考えると、イエス・キリストがこの世に来られたということは想像を越えるほど大きな恵みだと思います。そして、その大きな恵みの象徴が「イエスの聖心」なのです。そう思いながら、もう一度この御絵を見ていただきたいと思います。
 私事ですが、この祭日にわたしは生まれて初めて地鎮祭(家の定礎式)の司式をしました。ある信者さんが自宅を建てるための敷地の地鎮祭でした。この家が、「イエスの聖心」という土台の上に堅固に建てらられた愛の家となることを心から祈っています。
※絵の解説…カルカッタ滞在中、堅信式のお祝いとしてマザー・テレサが下さった御絵。マザーは「イエスとマリアの聖心」に対して深い信心を抱いておられた。