《司祭叙階式・初ミサの御礼と御報告》

 叙階式準備のため、しばらくのあいだブログの更新やコメントへの応答が不規則になっていたことをお詫びします。その間に、たくさんのコメントをいただきありがとうございました。お陰さまで、9月20日に東京の聖イグナチオ教会で無事叙階の恵みを頂き、翌21日には六甲教会で初ミサを立てさせて頂くことができましたので御報告いたします。
 この叙階式に当たって、ほんとうにたくさんの方から祈っていただいたことを心から感謝しています。皆様からのコメントや式の当日に頂いたカードなどを読み、また頂いた手作りの品々を見ながら、一体どれほどの祈りが1人の新司祭誕生のために捧げられたことかとしみじみ感動しています。皆様方の祈りを裏切ることがないよう司祭としての道を最後まで歩み続けていきたいと思いますので、どうぞこれからもお祈りをお願いいたします。
 叙階式や初ミサの祝賀会でもお話ししましたが、叙階式から数日が経過した現在でもまだ自分が神父になったことが信じられないというのが実感です。これまでの10数年間、「いつか自分も司祭になるんだろうか、果たしてそんなことがありうるんだろうか」と思って過ごしてきましたので、気持の切り替えに今しばらく時間がかかりそうです。
 新司祭としての抱負を何人かの方から尋ねられましたが、司祭としてわたしに与えられた最大の使命は、御ミサを通して、また「ゆるしの秘跡」や「病者の塗油」などの秘跡を通して、皆さんとイエス・キリストとの出会いを手助けすることにあると思っています。この使命を果たすためには、まずわたし自身が日々の祈りの中で、教会との一致のうちにイエス・キリストの出会いを深く体験することが不可欠でしょう。マザー・テレサは「母なる教会が必要としているのは、聖なる司祭です」とよく言っていました。日々の祈りの中でイエスによって聖化されてゆき、マザーが求めていたような聖なる司祭になっていきたいものだと思います。
 マザーは「あなたがなにを言いたいかではなく、神様があなたに何を語っているのか、あなたを通して何を語りたいのかだけが問題なのです」とも言っていました。祈りの中で神様の声に耳を傾けることこそが、すべての出発点なのでしょう。そのようなイエスとの親密な語らいの中で、イエスを愛する喜びが生まれてくるのだろうと思います。柳田神父様が初ミサの中でおっしゃったように、イエスへの愛を日々の祈り中で深めてゆき、いつの日か「イエスが喜ぶことを行うことだけが自分の喜びだ」と言えるようになりたいものです。
 司祭叙階や初ミサを通して感じたことはまだまだたくさんあって、とても書ききれないほどです。これからのブログの中で、それらの思いを少しずつ書きとめていければと思います。最後になりましたが、お忙しい中を叙階式に参列してくださった皆様、また初ミサと祝賀会の準備をしてくださった六甲教会の信者の皆様に特に感謝したいと思います。本当にありがとうございました。これからの司祭としての働きの中で、皆様に少しでも御恩返しができればと思います。どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。













※写真の解説…六甲教会での初ミサの様子。1枚目、入祭。2、3枚目、奉納。4、5枚目、奉献。6枚目、聖体拝領。7枚目、閉祭。 撮影:六甲教会広報部。