バイブル・エッセイ(30) 神様へのプレゼント


 天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。…さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』 主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』(マタイ25:14-15,19-21)
 この物語できっと、僕はわたしたち一人ひとりで、僕に財産を預けた人は神様でしょう。神様は、自分が管理を任せた財産を使って同じ額の財産を儲けた人をほめました。どんな意味でほめたのでしょうか。与えられたタレント(才能)を使ってお金を増やしたからでしょうか。わたしたちも同じように、与えられた才能や財産を有効に使ってお金持ちになったり有名になったりしなければ神様からほめられないのでしょうか。
 そうではないと思います。ここで神様が僕をほめたのは、彼が神様から与えられた恵みに忠実だったからでしょう。神様は、僕にたくさんの愛を注ぎ、恵みを与えました。自分に与えられたすべてのものを人々と分かち合うことで、この僕はその愛や恵みを倍に増やしたのです。だから神様はこの僕をほめたのでしょう。才覚を働かせてお金持ちになったからではないと思います。
 神様は、わたしたち一人ひとりが与えられた恵みに応え、この地上に神様の愛を広げていくことを望んでおられます。与えられたタレントが世間的な意味で大きかったり小さかったりしても、それは関係ないでしょう。障害を負っていたり、病気だったり、世間的な意味では小さな才能しか与えられていなかったりしても、その人が神様の愛に応え、神様から受けた愛を周りの人々と分かち合うことで増やしていくならば、神様は「よくやった。主人と一緒に喜んでくれ」とおっしゃるに違いありません。
 わたしの友人で、癌のために早く亡くなった女性が病床で次のようなことを言っていました。「わたしのこの命は、神様からいただいたプレゼントです。この命を、最後まで精いっぱいに生き抜くことがわたしから神様へのプレゼントです。」たとえささやかな人生であったとしても、神様のために精いっぱいに捧げられた人生は神様にとってきっと何よりもうれしいプレゼントでしょう。彼女にならって、わたしたちも与えられた恵みを精いっぱいに生きたいものだと思います。
※写真の解説…高山植物園にて。