フォト・エッセイ(61) 六甲教会の紅葉①


 今朝、教会の庭に植えられた木々の紅葉を写真に収めた。普段は、たくさんの仕事がある日曜日にわざわざカメラを持ち出して教会の写真を撮ったりしない。だが今日は特別に天気がよく、庭の木々の美しさがわたしに「撮ってくれ」と訴えかけているようでもあったので、信者さんたちがみなミサのために聖堂に入って行った後でカメラを持ち出して庭の写真を撮っていた。
 最初は数枚くらい一応念のために撮っておくかというくらいの気持ちで撮り始めたのだが、撮っているうちにまた夢中になってしまった。雲ひとつない青空と、教会の庭の桜の木々の紅葉が思いのほか美しかったからだ。教会の庭を隅から隅まで歩きまわっているうちに、いくつもの思いがけない美しさと出会った。
 先日、京都の紅葉を見ていた時にも感じたことだが、身近なところにある小さな美しさを通してわたしたちに語りかける神様の声を聞き取るにはよい耳が必要だ。教会の庭にもたくさんのそのような美しさがあり、いつもわたしに語りかけているのだが、普段忙しくしているときにはつい見過ごしてしまう。だが、耳を澄ませば本当に数限りないほどのメッセージが教会の庭でわたしたちに語りかけており、目を見開けば無数の恵みが教会の庭に隠されている。そのことに、今日あらためて気づかされた。
 「幸せの青い鳥」は身近にいるというが、それはある意味でまったく真実だと思う。わざわざ遠くに目を驚かすような壮大な景色を見に行かなくても、見る目さえあれば庭の木々や草花の中に人知を超えた美しさを見出すことができるだろうし、逆に見る目がなければどんなに神秘的な光景を見ても心を動かされることはないだろう。何より大切なのは、わたしたちの心が神様に向かって開かれているかどうかということだと思う。
 明日から12月が始まる。これからクリスマスにかけて教会ではさまざまな行事が行われ、司祭はまさに「師走」の忙しさを味わうことになる。そのような忙しさの中にあっても小さな美しさを見失うことがないように、いつも心の目を覚まし、耳を澄ましていたいものだと思う。







※写真の解説…六甲教会の紅葉。