フォト・エッセイ(79) 梅一輪


 今日も寒い朝だった。庭で教会学校の準備をしていると、寒風が吹きつけ、体温をあっという間に奪っていった。帰りがけにふと教会の隅に植えてある梅の木に目をやると、何か白いものが見えた。「あれ、もしかすると」と思って近寄っていくと、やはり梅の花だった。白梅が開花を始めたのだ。急いで部屋からカメラを取ってきて、記念すべき今年最初の一輪を写真に収めた。
 今、教会の庭は少しずつ賑わい始めている。蝋梅も黄色い花を咲かせているし、山茶花の真っ赤な花も目に鮮やかだ。控え目ではあるが、水仙も日陰で花を咲かせ始めている。冬のあいだずっと咲いていてくれたパンジーもまだ健在だ。寒さは依然として厳しいが、着実に春の足音が近づいてきているのを感じる。
 吹きすさぶ北風の中で一輪咲く梅の花を見ていると、何かすべてのものを活かしている生命の力の発露を見たような思いがする。葉を落とし、ごつごつした枝だけになった木々を見ていると何かさびしい気持になるが、しかしその中には生命の力が躍動しているのだ。わたしたちが気付かないうちに、根を張り、枝を伸ばし、花の芽を育てて、春が来るのに備えている。その力は、ただ梅だけでなくすべての木々や草花を生かし、生きとし生けるすべてのものを支える力であるように感じられる。この世界に生きとし生けるものすべての中に命の力が満ち溢れ、わたしたち人間を包み込んでいるのだ。
 その力がわたしたちの中にもあることに気づき、心を開いてその力を解き放った時、わたしたちの命はこの地上に生きるすべての命と溶け合う。木々や草花の命がわたしたちの心に流れ込み、わたしたちの命は木々や草花の中に流れ込んでいく。そんなとき、わたしたちは神様が与えてくれた永遠の命に生きているのだと思う。







※写真の解説…1枚目、教会の庭に咲いた白梅。2枚目、蝋梅。3枚目、開花直前の紅梅。4枚目、春を待つモクレン