バイブル・エッセイ(41) 「わたしの愛する子」

 このエッセイは、1月11日に行われた成人式を祝うミサの中での説教に基づいています。

 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。彼はこう宣べ伝えた。
 「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」
 そのころ、イエスガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川ヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。
 すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。(マルコ1:4-11)

 イエスが洗礼を受けたとき、天から「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が響きました。この声を聞いたあと、イエスは公に福音を告げ知らせ初めました。「神の愛する子」としての自覚を深めたイエス、は「神の愛する子」としての自信と誇りを持って、力強く福音宣教へと旅立って行ったのです。
 神様は今日、この御ミサの中で、成人式を迎えたみなさん一人ひとりにも同じ言葉を語ってくださいます。イエス・キリストを信じるみなさんに、神様は今、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適うもの」と語りかけておられるのです。みなさん一人ひとりが、かけがえのない神の子、大切な教会の子どもなのです。どうかそのことを忘れないでほしいと思います。
 大人として生きていく中で、みなさんもきっと何回かは大きな困難に直面することがあるかもしれません。自分の存在に意味が感じられない、生きている意味が分からない、そんな風に感じるときがあるかもしれません。ですが、どうか忘れないでください。みなさんは「神の愛する子」なのです。たとえ世界が自分の存在を否定しているように感じられるようなときであっても、自分自身でさえ自分を受け入れられない時であっても、神様はみなさんを深く愛しておられるのです。もしそのことを思い出せるならなば、どんな困難に直面したとしてもみなさんは「神の愛する子」としての自信と誇りを持って、力強く歩み続けることができるでしょう。
 教会は、みなさんの家族としていつでも皆さんが教会に来るのを待っています。もし「神の愛する子」であることを信じられなくなるようなときがあれば、どうかいつでも教会に来てください。みなさんは、「教会の愛する子」でもあるのです。みなさんの上に神様の豊かな祝福があるように、わたしたち教会家族は心を合わせて今、祈っています。
※写真の解説…神戸市役所の隣にある、東遊園地の噴水。