入門講座(30) 地球環境問題とキリスト教

《今日の福音》マルコ7:1-13
 当時のユダヤ教社会でどのような習慣が行われていたかが、イエスの言葉から分かる興味深い箇所です。どうやらファリサイ人や律法学者たちは、聖書の教えからかけ離れた教えまで先祖伝来の教えとして大切にしていたようです。
 もともと汚れとは、人間が神様の御旨から逸れた行いや考えをすることから生まれるもののはずです。ですから、手がきたないことは必ずしも神の前で汚れていることを意味しないのです。ですがユダヤ教の権威者たちは、イエスの弟子たちが先祖伝来の教えに反して手を洗わずに食事をしたという外的な事実だけから、彼らが汚れていると判断しました。
 このような彼らの態度に対して、イエスイザヤ書29章13節の言葉で反論します。この言葉に続く14節では「それゆえ、見よ、わたしは再び/驚くべき業を重ねて、この民を驚かす。賢者の知恵は滅び/聡明な者の分別は隠される」とも言われています。イエスが登場することで、地上の賢者としてふるまっていたファリサイ人や律法学者たちの知恵は滅ぼされたのです。

《地球環境問題とキリスト教
 地球温暖化を初めとする世界規模での環境破壊が進んでいます。昨年公開された映画『不都合な真実』や『アース』の中でも指摘されていたように、今何かをしなければ地球環境は回復不能なほど破壊されてしまい、もはや人間が住むのに適した環境ではなくなってしまうというところまで問題は深刻化しています。この事態に直面して、キリスト教徒は何をすべきなのでしょうか。わたしたちに何ができるのでしょうか。

1.世界的取り組み〜京都議定書
 まず、地球温暖化の問題に対して世界が今どのような取り組みをしているのかを確認したいと思います。世界規模での地球温暖化への取り組みの中心にあるのは、1997年に国連の会議で議決された京都議定書です。
(1)成立の経緯
 1992年、地球規模で進行する気候変動に歯止めをかけるため、国連で「気候変動枠組条約」が締結されました。目標の達成をより現実的なものとするため、1997年に京都で行われた第3回の条約締約国会議において、温室効果ガス削減の数値目標に法的拘束力を与えるための議定書が作成されました。これが、京都議定書です。京都議定書は、ロシアが批准したことによって2005年に発効しました。
(2)京都議定書の主な内容
地球温暖化の原因物質として、二酸化炭素、メタン、亜酸化窒素など6つの物質が確定されました。
②2008年から2012年の間に、先進国全体で温室効果ガスを1995年度の排出量との比較で5%削減することが決定されました。
③各国の置かれた状況の違いに配慮して、国別の削減目標が決定されました。
(3)京都議定書の限界
 京都議定書に基づく世界規模での気候変動への取り組みは非常に尊いものですが、残念ながらいくつかの限界も指摘されています。
温室効果ガスと地球温暖化の因果関係が説明されていない。
…科学者の中には、現在起こっている地球の温暖化は太陽の活動周期によるものであって人間の活動によるものではないと主張している人々がいます。この説に対して、完全な反論を加えることは不可能だと言われています。
②目標数値が不十分。
京都議定書は、参加国間での交渉の結果として温室効果ガスをなんとか5%削減することを議決しましたが、地球温暖化を止めるためには60%の削減が必要だとの調査報告があります。
③世界の二酸化炭素排出量の24%を排出するアメリカ、12%を排出する中国、5%を排出するインドが参加していない。
…これらの国が参加しない限り、他の国がどれだけ努力したとしても地球温暖化に歯止めをかけることは困難でしょう。締約国会議は、これらの国に議定書の批准を強く求めています。
④先進国しか規制の対象に入っていない。
…途上国の実情に配慮して、京都議定書は先進国のみに削減義務を課しました。しかし、途上国からの温室効果ガスの排出量が今後増大していくなら、気候変動に歯止めをかけることは困難です。

2.何が問題なのか?
 地球温暖化が人類全体にとって脅威であることが明らかであるにも拘らず、なぜ温室効果ガス削減について世界の国々の足並みは揃わないのでしょうか。背景には、次のような倫理的問題が横たわっています。それぞれ対立軸を作っている2つの立場を紹介しますが、それらの間に中間的な立場も存在します。
(1)世代間倫理
 一つの世代は、次の世代に対して何らかの責任を負うのかという問題です。
①次世代への責任を強調する立場
…今の世代の人類は、次の世代の人類が繁栄していくために必要なだけの資源と環境を次の世代に残していく義務を負っているという考え方です。
地球という大きなパイに限界がある以上、一つの世代がそのパイを食べつくしてしまい、次の世代に何も残さないというのはあまりにも利己的な態度だとこの立場の人たちは考えます。『モモ』や『はてしない物語』で有名なミヒャエル・エンデは、今地球では限りある地球の資源と環境をめぐって一つの世代が次の世代と対決する「時間の戦争」が起こっていると指摘しました。
②各世代の自己責任を強調する立場
…一つの世代は、自分の世代のことだけに責任を持てばよいと考える立場です。次世代に資源や環境を残すといっても、何をどれだけ残すのが次の世代にとって一番いいのかは誰にもわかりません。すべてをできるだけ多く残すべきだと考えるならば、今の世代の多くの人が貧困や飢えに直面することになり不合理です。
これからどのような技術革新が起こるか、人類のライフスタイルがどう変わるかまったくわからない現状の中で、次の世代に資源や環境を残すために今の世代が飢えるのは愚かなことだとこの立場の人たちは考えます。今までの世代の人々がそうしてきたように、一つの世代の人間はその世代にだけ責任を負えばいいというのがこの人たちの基本的な考え方です。地球温暖化温室効果ガスの因果関係がまだ証明されていないことも、この立場の人たちの主張に味方しています。
(2)先進国と途上国の責任の違い
 先進国と途上国では、地球温暖化に対して負っている責任が違うのではないかという問題です。
①すべての国がなんらかの責任を負うべきだと考える立場
…同じ地球に住んで、同じ危機に直面している以上、先進国も途上国も足並みを揃えてこの問題に取り組んでいくべきだと考える立場です。途上国の発展のために、全人類が犠牲になるのは不合理だとこの立場の人たちは考えます。
②途上国に責任はないと考える立場
…そもそも気候変動を引き起こすほど大量の温室効果ガスを排出したのは先進国なのだから、先進国がその責任をとるべきだと考える立場です。
途上国は、発展していくためにこれから大量の温室効果ガスを排出する必要があり、また排出する権利があるとこの立場の人たちは考えます。先進国は温室効果ガスを排出することによって豊かになったのに、なぜ途上国がそれと同じことをして豊かになろうとするのを止めるのかと彼らは問いかけます。地球環境保護が、貧しい国を貧しいままで放っておき、豊かな国がその豊かさをもうしばらく先まで楽しむためのものであるならば、途上国がそのような企てを拒否することは明らかでしょう。
(3)自然自体に価値を認めるかどうか
 自然を守るために人間は繁栄を我慢しなければならないのかという問題です。
①自然に人間と同じ価値を認める立場
…動物や木々にも、人間と同じように生存権があり、それを守るためには人間の繁栄も犠牲にしなければならないという考え方です。自然も人間も、同じ地球の構成員として同等の尊厳と権利を持つとこの立場の人々は考えます。この立場は、「ディープ・エコロジー」と呼ばれることもあります。
②自然は人間が繁栄するために存在すると考える立場
…人間が地球の主であり、自然は人間が繁栄するために存在すると考える立場です。何が何でも自然を保全するのではなく、人間が繁栄し続けていくために必要な限りで自然を保護すればいいとこの立場の人たちは考えます。

3.カトリック教会の立場
 環境問題についてまとめて扱った教会の文書は、残念ながらあまり多くありません。この問題については、まだ教皇様の回勅や使徒的書簡なども出されていないのが現状です。現時点で出されている教皇様や司教団のメッセージに基づいて、カトリック教会の立場をまとめてみようと思います。
(1)現時点で出されている文書
 参考になるものを列挙しておきます。
ヨハネ・パウロ2世による1990年「世界平和の日」教皇メッセージ…地球環境問題に焦点を絞った長文のメッセージです。
ベネディクト16世による2008年「世界平和の日」教皇メッセージ…家庭について考える中で、人類の住まいとしての自然環境にも言及しています。
日本カトリック司教団メッセージ「いのちへのまなざし」…地球環境問題について1節を使って考察を加えています。
日本カトリック司教団社会司教委員会によるメッセージ「地球は神のもの、すべての被造物のもの」(1992年)…人類が直面している環境問題について簡潔にまとめ、信者一人ひとりの取り組みを求めています。
日本を含む世界7ヶ国の司教協議会議長による「2007年ハイリゲンダムG8主要先進国首脳に宛てた要請文」…世界の首脳に対して、豊かな国の負担によって地球温暖化を止めることを呼びかけています。
日本を含む世界9ヶ国の司教協議会議長による「2008年洞爺湖サミットG8主要先進8ヶ国首脳へのメッセージ」…世界の首脳に対して、地球温暖化によって被害を受ける貧しい人々への配慮を呼びかけています。
イエズス会第35総会教令第3教令「今日のわたしたちのミッションへのチャレンジ」…人間と地球環境の正しい関係を取り戻すために、全イエズス会員と協働者に対して研究と実践を呼びかけています。
(2)聖書の教え
①被造界の支配を委ねられた人間
 基本になるのは、神様がこの世界をよいものとして創造し、その世界を神の御旨に従って治める役割を人間に与えたということです(創世記1章)。
「海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」という神様の言葉は、決して人間が欲望のままに動物や自然を破壊していいということを意味していません。むしろ逆に、神様はこの言葉によって、欲望に流されることなく神の秩序を地上に実現していく使命を人間に与えられたのです。
イエス・キリストによる世界の秩序の回復
 しかし、人間は欲望の誘惑に負け、世界の秩序を乱してしまいました。罪に沈んだ被造界を救うために神様はイエスを世に遣わし、「御心のままに…その十字架の血によって平和を打ち立て、天にあるものであれ、地にあるものであれ、万物をただ御子によって御自分と和解させられ」(コロサイ1:19-20)ました。イエスの弟子であるわたしたちには、イエスが回復してくださった世界の秩序を守っていく使命があります。
(3)個々の問題についてのカトリック教会の考え
①世代間倫理
 ヨハネ・パウロ2世は「世界平和の日」教皇メッセージの中で、「宇宙には守るべき秩序があり、自由意思によって選択の可能性を与えられた人間は、来るべき世代の利益のためにこの秩序を保つ厳粛な責任がある」と述べています。ベネディクト16世も「世界平和の日」教皇メッセージの中で、「未来の人間も、被造物から利益を得、現代人が有すると思うのと同じ、責任ある自由を行使する権利を持つ」と述べました。
この世代に生きている人間には、神様が造られた世界の秩序を未来の世代のために守っていく責任があるということです。どの資源をどのくらい残せばいいのかというのは難しい問題ですが、少なくとも環境を完全に破壊してしまう地球温暖化は回避しなければならないでしょう。
②先進国と途上国の責任の違い
 この点について、ヨハネ・パウロ2世は、次のように述べています。「先進工業諸国が、まず自国で環境問題に関する規制的基準を実施するのでなければ、新しく工業化された国々にそれを要求することはできないのです。同様に、工業化途上国にも、先進国の過去の過ちを繰り返したり、産業公害や急速な森林伐採、再生不可能な資源の無制限な使用等による環境破壊を続けたりしてもよいという倫理的自由があるのではありません。」
 ベネディクト16世は、次のように述べています。「環境保護に経費がかかる場合は、この経費を公平な形で負担しなければなりません。その際、さまざまな国の発展段階の違いと、未来の世代と負担を分かち合う必要を十分考慮すべきです。」
 今起こっている地球温暖化が、主に先進国の排出した温室効果ガスによって起こっていることは否定できないでしょう。ですが、そのことは途上国が地球の秩序を破壊してまで発展する権利を持つことを意味していません。すべての国が、発展段階に応じて応分の負担をしながら、共に地球環境を守っていく責任を負っているのです。
 地球環境を守ることは、途上国を貧しいままにしておくということも意味していません。先進国は途上国が「地球規模での気候変動をもたらさない形で発展」(ハイリゲンダム・サミットへの要望書)するのを助けるべきでしょう。貧しさの中では自然に配慮している余裕がなくなりますから、貧困がなくならない限り途上国での環境破壊を止めるのは困難だとも言えます。
③自然自体に価値を認めるかどうか
 この点についてベネディクト16世は、次のように述べています。「言うまでもなく、人間は全被造物の中で最も価値あるものです。環境を大事にすることは、物質的な自然や野生動物を人間よりも重要だと考えることを意味しません。むしろそれは、わたしたちの利益のために完全に自由にできるものとして、自己中心的なしかたで自然を考えないということに他なりません。」
 自然自体が美的価値を持ち、人間の心を癒してくれるのも事実ですが、わたしたちにとって一番大切なのは、被造物としての自然や動植物を守ることでも被造物の頂点としての人間の繁栄を守ることでもなく、神様が作ってくださった世界の秩序を守っていくことでしょう。
(4)わたしたちに何ができるのか
①消費文明の見直し
 大量生産大量消費を基盤とした社会の発展モデルを見直さない限り、地球環境を守ることは不可能でしょう。この点についてヨハネ・パウロ2世は「簡素、つつましさ、節制、犠牲の精神などが日常生活の一部とならなければ、一部の人の惰性が引き起こす事態ゆえに全人類が苦しむことになるでしょう」と述べています。
日本の司教団は「冷暖房のかけ過ぎや過剰包装などの無駄はやめ、製品を購入する場合には、本当に必要か、再生資源利用品か、消費電力はどうかなどを考えて買うなど、一人ひとりが自分にできること、地球環境への重荷を減らす行動をしていくことが求められます」と述べています。
代替エネルギーの開発とより効率的なエネルギー利用
 国家や企業は、化石燃料に代わるエネルギー源を開発する責任を負っています。太陽エネルギーや風力、潮力、地熱などの利用技術を開発する必要があるでしょう。化石燃料のより効率的な利用技術の開発も不可欠です。わたしたちは、そのようなエネルギーや技術を使った製品を選択して使うことができます。
③途上国の貧困をなくすために全力を尽くすこと
 途上国の貧困問題と地球環境問題は、切り離して考えることができません。途上国の発展を全面的に支援しながら環境保護を呼びかけるときにだけ、先進国の呼びかけは途上国の人々の心に届くでしょう。
④被害を受けている人々の叫びに耳を傾けること
 すでに水不足、洪水、海面上昇、酸性雨、強い紫外線などによって地球環境問題の被害を受けている人たちがたくさんいます。彼らの声に耳を傾け、彼らと共に闘っていくことも必要でしょう。

《参考文献》
 本文で紹介したもの以外に、次の文献を参考にしました。
加藤尚武、『新・環境倫理学のすすめ』、丸善ライブラリー、2005年。
・石弘之、『地球環境報告』、岩波新書、1988年。
・石弘之、『地球環境報告Ⅱ』、岩波新書、1998年。