教会報記事「祈りで結ばれた共同体」

 カトリック六甲教会の教会報3月号に掲載された記事です。

 父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。(ヨハネ17:21)
 早いもので、わたしが六甲教会に派遣されてから1年になろうとしています。教会のことを全く何も知らなかったわたしがここまでなんとかやって来られたのは、ひとえに皆さんの祈りと支えによるものだと思います。改めて、心から感謝したいと思います。
 最近、マザー・テレサについての資料を改めて読み直しています。来年度の入門講座を、「マザー・テレサに学ぶキリスト教」というテーマでやっていこうと思って、そのための準備をしているのです。読みながら、改めてマザー・テレサの偉大さに衝撃を受けています。何よりもすごいのは、神様に自分を捧げるときの彼女の徹底したやり方です。「あなたにわたしの全てをお捧げします」という祈りの言葉を、彼女は日々の生活の中で文字通りに実行していました。彼女は、あれはしたくないとか、あの人は嫌いだとか、時間がもったいないとか、そのような人間的な思いをすべて放棄し、神の御旨にかなうことであればすべて即座に実行していったのです。それらの一つ一つの行いを通して、マザーは自分を神様に差し出し、神様と一つに結ばれていきました。彼女と出会った人は、みな彼女を通して神様の愛に触れたように感じたものです。
 このマザーの信仰に見習いたいと思います。イエスが神様と一つであったように、マザーがイエスへの愛によって神様と一つであったように、わたしたちも日々の祈りと実践によって神様と一つになれればすばらしいと思います。もしわたしたちが神様への愛の中で一つになるならば、もはや福音宣教などという言葉を使わなくてもわたしたちの存在そのものが福音宣教になるでしょう。逆に、もしそうでないならば、どれほど福音宣教という言葉を連呼したとしても何の意味もないように思います。わたしたちが神様への愛の中で一つに結ばれていない限り、神様が救い主を世に遣わしたということを世間の人々は決して信じないでしょう。
 神様への愛の中で一つに結ばれていくための祈りと実践の頂点にあるのは、言うまでもなくミサです。ミサは神様のわたしたちへの愛の究極の形であり、またわたしたちの神様への自己奉献の完成だからです。毎週のミサを大切にし、すべてを神様に捧げつくす愛の中で一つになっていきたいものです。
※写真の解説…カルカッタ、マザー・ハウスの中庭にて。司祭に語りかけるマザー・テレサ