バイブル・エッセイ(70) 三位一体の祈り


 そのときイエスは言われた。「わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」
 イスカリオテでない方のユダが、「主よ、わたしたちには御自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」と言った。イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」(ヨハネ14:21-26)

 このイエスの言葉はわたしたちに、三位一体の神がどういう方であるのかをはっきりと教えてくれます。イエスを深く愛するならば、イエスご自身だけでなく父なる神と聖霊もわたしたちのもとに来て下さるのです。
 これは、わたしたちが日々の祈りの中で体験している三位一体の神そのものでしょう。たとえば、聖堂に入って十字架にかけられたイエスの像をじっと見つめていると、しだいに像の周りの時間と空間がぼやけてくるような感じがします。イエスの像を通して地上の世界が「神の国」とつながり始めるのです。イエスによって、地上の世界と「神の国」を隔てる門が開かれるのです。するとわたしたちは、もう自分を忘れてそこから「神の国」へと吸い込まれていくような感覚を味わいます。これが父なる神との出会いです。イエスとの出会いを通して、父なる神との出会いが実現したのです。
 そのような出会いを体験しているとき、わたしたちの心の中に不思議な喜びや平安、力が湧き上がってきます。それらは、わたしたち自身のものではなく、どこかからやって来たとしか思えないようなものです。イエスによって開かれた門を通って、「神の国」からわたしたちの心に聖霊が来て下さったのです。
 祈りの中で起こるイエスとの出会い、父なる神との出会い、聖霊の到来。これらは、言葉で説明すると3つの出来事ですが、わたしたちにとっては1つの体験です。祈りの中で、日々わたしたちは三位一体の神を体験しているのです。三位一体の神は決して難しい教義などではなく、わたしたちにとって日常的な体験にすぎないのです。
 イエスへの愛によって三位一体の神と深く結ばれながら、毎日を生きていきましょう。
※写真の解説…小川の土手に咲いた花。下唐櫃集落にて。