バイブル・エッセイ(78) それでも愛する


 食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。
二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。
三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。(ヨハネ21:15-19)

 ペトロがイエスを3度「知らない」と言ったことを思い出させるかのように、イエスはペトロに3度「わたしを愛しているか」と尋ねられました。なぜイエスはそんなことをしたのでしょうか。自分を裏切ったペトロを、ちょっといじめてやろうと思ったのでしょうか。そうではないでしょう。イエスは、ペトロに自分の弱さをよくかみしめながら信仰告白をしてほしくて、このような尋ね方をしたのだろうとわたしは思います。
 自分にとって一番大切な人を裏切り、見殺しにしたという体験は、ペトロにとってどれほど苦しいものだったでしょうか。イエスへの愛が深ければ深いほど、その苦しみもまた厳しいものだっただろうと思います。身悶えするほどの良心の呵責の中で、ペトロは自分自身の弱さ、無力さをとことん味わったことでしょう。その苦しみの中で、自分の力により頼むペトロの思いあがった心は木っ端みじんに砕けてしまいました。後に残ったもの、それは自分の力を無とみなし、ただ神の力だけにより頼む謙虚な信仰でした。
 苦しみの中でイエスへの愛がどれほど深いものだったか、自分がどれほど弱いものであるかを味わいつくしたペトロは、まさに万感の思いを込めて「わたしは、あなたを愛しています。わたしにはもうそれ以外何もありません」とイエスに告白しました。イエスが求めていたのは、このような信仰告白だったのです。
 この信仰告白は、もはや生涯ペトロの心を離れることがありませんでした。殉教に至るまで、ペトロはこの信仰告白を貫き通したのです。わたしたちも、ペトロのような信仰告白をしたいものだと思います。自分の弱さ、無力さをかみしめ、ただ神だけにより頼む心が与えられるよう、共に祈っていきましょう。
※写真の解説…六甲山高山植物園、ロックガーデンにて。