バイブル・エッセイ(849)汚い部分を洗う

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汚い部分を洗う

 過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」(ヨハネ13:1-15)

 最後の晩餐を前にして、イエスが弟子たちの足を洗ったとヨハネ福音書は伝えています。ちょっと分かりにくい行動ですが、イエスはペトロに、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言いました。イエスが、この出来事を通してわたしたちに伝えたかったことは、一体なんだったのでしょう。
 足を洗うということは、当時の人にとってはちょっと勇気がいることだったでしょう。当時の人たちの履物はサンダルのようなもので、道は舗装されていませんでしたから、足は相当に汚れていたはずです。そのように汚れた足を見るのは嫌だし、まして手で洗えば、自分の手に汚れがうつるような気がしたに違いありません。それでも、イエスはあえて汚い足を洗った。そこにメッセージの核心があるように思います。
 わたしも、修練期や神学生の頃に実習で病院や老人ホームなどに行き、汚れ仕事をお手伝いしたことがあります。患者さんや利用者さんの下の世話です。中には、トイレまでは行けるけれど、お尻はふけないという方もおり、お尻をふく役を仰せつかったこともあります。そのような仕事をするのは、始めとても抵抗感がありました。糞便というのは不潔だし、できれば見たくない。まして、触りたくなんかないという気持ちが強かったのです。ですが、やっているうちに、あるところで開き直りというか、覚悟が決まりました。これも、人間の現実なのだ。神様が人間をこのように造ったのだから、糞便も決して汚いものではないと思うことにしたのです。それからは、あまり抵抗を感じずに奉仕ができるようになりました。
 司祭になってからも、似たようなことを体験しました。それは告解の時間です。長い時間、たくさんの罪を聞いていると、最初はとても気が重くなりました。人間の汚い部分から、目を背けたいという気持ちがあったのです。ところが、あるときから、これも人間の現実なのだと思えるようになりました。人間は、誰しも弱さや不完全さを背負いながら生きている。神様はそのようなわたしたちを、あるがままに受け入れ愛してくださる。よいところだけでなく、汚いところも含めて相手をあるがままに受け入れる。それが、愛するということなのだと思えるようになったからです。
 汚い部分を洗うということは、人間の現実をあるがままに受け入れるということに他ならないと思います。人間である以上、誰しもトイレには行くし、自分勝手な欲望が心に生まれることもあるのです。神様は、そのようなわたしたちの現実を知り、あるがままに受け入れてくださいます。それこそが、神様の愛に他ならないのです。最後の晩餐の席で、イエスはそのような愛を、身をもってわたしたちに示してくださいました。わたしたちも、その模範に倣って生きられるよう祈りましょう。