バイブル・エッセイ(764)つないでゆく使命


つないでゆく使命
 エスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。(マタイ16:13-20)
「私はあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」というイエスの言葉が読まれました。ペトロに天国の鍵が与えられた。誰が天国に入るかはペトロが決める、という風に解釈されることもある箇所ですが、むしろペトロに、すべての人に天国の門を開く使命、全人類を一人残らず神の国につなぐ使命が与えられたと考えるのがいいでしょう。神様の思いは、自分の息子であり、娘である人間たちを、一人残さず神の家に迎え入れることなのです。
 先日、熊本で「あそぼうキャンプ」が行われました。地震や水害を体験した子どもたちの心の傷を、阿蘇の豊かな大自然の中で癒すことを目的としたキャンプです。傷ついた心を癒す専門家である精神科のお医者さん方や、子どもたちの心の専門家であるスクールカウンセラーの先生方もたくさん参加されました。大学生や高校生のボランティアたちも参加して、とても楽しいキャンプでした。まるで天国のような3日間だったといっていいでしょう。
 今回参加してとても感動したのは、専門家の先生方の、子どもたちに寄り添う姿勢でした。先生方は、子どもたちのちょっとした成長を決して見逃しません。乗馬やカヌー、ジャムづくりなどに取り組む子どもたちの姿をじっと観察し、その子が頑張って何かをできるようになったら、その瞬間をさっととらえて「よく頑張ったね」と声をかけるのです。問題行動が目立つような子は、特によく観察します。そして、そんな子の中にこそよいところを見つけて、どんどん褒めてあげるのです。ある先生は、「褒める」というより、子どもが何かできるようになったことを、子どもと一緒に喜ぶのだ」とおっしゃっていました。先生方のそのような親身な指導の結果として、誰一人喜びから排除されることなく、参加した子どもたち全員にとってとても楽しいキャンプになったのではないかと思います。
 これこそ、天国の扉をすべての人に開く姿勢、すべての人を神の国につなぐ姿勢ではないでしょうか。わたしたちはつい、自分の基準を相手にあてはめ、相手が自分の思った通りに行動してくれたときに褒める。思った通り行動しない相手は叱るという態度をとってしまいがちです。自分の基準で相手を裁いてしまうといってもいいでしょう。それでは、どうしても排除される人たちが出てきてしまいます。すべての人を神の国につないでゆくためには、徹底して相手の視点に立ち、相手のよいところを見つけて褒めてゆくのが一番なのです。
 教師や親がそのような態度で子どもたちに接するとき、子どもたちは、大人の期待を損ねないようにとびくびく行動するのではなく、自由に自分らしく育ってゆくことができます。教育者たちの願いは、子どもが自分の思った通りに育つことではなく、その子らしく育ってくれることなのです。子どもたちは、やさしく見守る先生や親たちの愛の中で、自分らしく成長してゆくのです。 わたしたちも、この姿勢に学びたいと思います。相手を裁くのではなく、徹底して相手の視点に立ち、相手のよさを見つけてつないでゆくこと。教会を、神の愛の中ですべての人がその人らしく成長してゆける場所にすることを目指しましょう。