マザー・テレサに学ぶキリスト教(4) マザー・テレサの霊性①「喜びの使徒」

第4回 マザー・テレサ霊性①「喜びの使徒
 インフルエンザ騒ぎでしばらく間があいてしまいしまた。前回までマザー・テレサの生涯を丁寧に辿って来ましたが、今回からは神様と彼女のあいだにどのような関係が結ばれていたのかについて勉強していきます。キリスト教では、ある人が神様との間に築きあげた関係のことを、その人の霊性と呼びます。
 マザー・テレサについて学ぶとき戸惑うのは、彼女の中に一見まったく異なる2つの霊性が両立していることです。彼女はシスターたちや貧しい人々、訪問者たちに対していつもイエスを愛する喜びを輝かせ、「喜びの使徒」としてふるまい続けました。その一方で、霊的指導者たちに宛てた手紙の中では、イエスの愛をまったく感じることができない霊的な闇の苦しみを訴え続け、自分がもし聖人になるのならば、「暗闇の聖人」になるだろうとさえ語っていました。さらにそれらの根底に、彼女の人生の転機に起こった「イエスの渇き」の体験がありました。マザーは、生涯一貫して、最初に体験した「イエスの渇き」を癒すことを「神の愛の宣教者会」の唯一の目的として掲げ続けました。
 「喜びの使徒」としての霊性と「暗闇の聖人」としての霊性、この2つの霊性はマザーの中でどのように統合されていたのでしょうか。それらは、彼女の出発点となった「イエスの渇き」の体験とどのように関連していたのでしょうか。これから3回の講義で、これらのテーマを中心としてマザーの霊性の謎を解き明かしていきたいと思います。

Ⅰ.「喜びの使徒
 マザーは1957年にペリエール大司教に宛てた手紙の中で「喜びによってイエスの聖心を慰めるために、『喜びの使徒』になりたい」という決心を書き記しています。
 生前、マザーと接したことがある人は、誰でもマザーが「喜びの使徒」だったことを認めるでしょう。マザーの笑顔には、いつでも作り物ではない心の底からの喜びが溢れていたからです。この喜びは一体どこから生まれてきたのでしょうか。なぜマザーは、カルカッタでの厳しい生活の中でもそのような喜びを持ち続けることができたのでしょうか。

1.イエスを愛する喜び
 マザーは、誰かから好きな言葉を書いてくださいと頼まれると、ほとんどの場合次のように書いていました。世界各地に、次のような言葉が書かれたマザーの手紙やサイン用紙が残されています。
「イエスを愛する喜びを、いつも心に持ち続けなさい。そして、その喜びをあなたが出会うすべての人と分かち合いなさい。」
 マザーがいつも語っていたこの言葉は、彼女の活動が何によって動かされているのかを余すところなく語っています。彼女の活動は、隣人愛の義務から生まれてくるようなものではなく、内面からあふれあがってくる喜びの発露だったのです。マザーの活動を支える力の源は、イエスを愛する喜びだったのです。
 最愛の伴侶であるイエスといつも一緒にいられるのだから、不幸である理由がないとマザーは語っていました。誰でも愛する人と一緒にいれば自然に喜びが全身から現れ、周りの人に対してやさしい気持で接することができるようになります。喜びは自然に他の人にも伝わり、次々と伝染していきます。そのようにして、愛する人の周りには愛の輪が出来上がっていくのです。マザーの場合その喜びがあまりにも大きかったので、愛の輪は全世界にまで広がっていきました。
マザーはシスターたちにも次のように勧めていました。
「あなたたちは、貧しい人たちのための太陽になりなさい。行く先ざきで喜びの光を輝かせ、彼らの心を温めるのです。あなたたちと出会った人が、別れるときにはあなたちと出会う前より幸せになっているようにしなさい。」
 イエスを愛する喜びに溢れたシスターだけが、本当の「神の愛の宣教者」になることができるとマザーはいつも言っていました。こう語るマザー自身の中にイエスを愛する喜びがあふれていたことは、マザーと出会ったわたしたち全員にとってあまりにも明らかな事実です。マザーは、ただイエスを愛する喜びだけに突き動かされて生きた人だったのです。

2.イエスとの結びつき
 もしイエスが実際に今生きている人で、マザーと一緒に住んでいたのならマザーの喜びは理解しやすいでしょう。誰でも、愛する人と一緒に暮していれば自然に喜びがあふれ出てきます。
 ですが、イエスはもう2000年も前に死んだ人で、実際に話すこともできなければ触ることもできません。それにもかかわらず、なぜマザーはイエスを愛する喜びを保ち続けることができたのでしょうか。マザーとイエスのあいだに、どのような結びつきがあったのでしょうか。
それを解き明かす手がかりは、彼女の祈り、自己犠牲の業、それらの頂点としてのミサの中にあるとわたしは思います。
(1)祈り
 マザーの書き残した手紙を読むと、マザーとイエスとの関係が、少なくともある時期とても親密なものだったことがよく分かります。
「アサンソールでは、まるで主がわたしに自分をまるごと下さったようでした。ですが、甘美で、慰めに満ち、主と固く結ばれたその6カ月は、あっという間に過ぎてしまいました。」
 アサンソールでイエスと共に過ごした日々は、マザーにとってまるでイエスとの新婚旅行のような日々だったようです。アサンソールでの生活の中でマザーは、イエスの存在を「ほんとう」に身近に感じ、「生きている」イエスと共に暮らす体験をしていたのです。イエスを恋人や夫の存在以上に身近でリアルな存在として愛する喜びを、マザーは体験したのです。
 どうしてそんなことができたのでしょうか。この時期、マザーは神様の特別な恵みによって「魂の目」と「魂の耳」が絶えず開かれていたのではないかというのがわたしの結論です。この時期のマザーは、肉の目で見えないイエスの姿を「魂の目」で見、肉の耳で聞こえないイエスの声を「魂の耳」で聞き、実存の深みでたえずイエスの存在を感じ続けていたのです。
①「魂の目」
 1993年に書かれた「マザーの霊的遺言」と呼ばれる手紙の中で、マザーは次のように語っています。
「あなたたちの中に、まだイエスとほんとうに出会っていない人がいるのではないかと心配です。わたしたちは聖堂でときを過ごしますが、あなたたちはイエスが愛をこめてあなたたちを見ているのを自分の魂の目で見たことがありますか。あなたたちはほんとうに生きているキリストを知っていますか。」
 マザーは修道女たちに「魂の目」を開いてイエスの姿を見るよう呼びかけています。マザーにとって、イエスは単に頭の中だけで生きている想像上の存在などではなく、生きた人間と同じように、あるいはそれ以上にリアルに見ることのできる「ほんとうに生きている」存在だったのです。
 では、どうすれば「魂の目」は開かれるのでしょうか。そのためには、目の前にあるものにすべての注意を注ぎ、目に見える姿の向こう側に隠されたものを見ようとすることだと思います。すべてのものの背後には、わたしたちの理解をはるかに越えた存在が隠れています。すべてのものは、その根底で「神の国」とつながっているのです。
 「なんだ、こんなものはよく知っている」という態度を捨てて、世界を生まれて初めて見る幼い子どものような気持で虚心に見るならば、わたしたちは「魂の目」で世界の本当の姿を見ることができるでしょう。その気になれば、一輪の花、一本の木を通しても、わたしたちは「神の国」をのぞき見ることができるのです。そこに生きたイエスの姿を見つけ出すことは、決して困難なことではありません。
②「魂の耳」
マザーは、次のように語っています。
「こころの静けさの中でイエスの呼びかけを聞くまでは、貧しい人々の心の中でイエスが『わたしは渇く』と言っておられるのを聞くことはできません。『ほんとうに生きている人』であるイエスとの、日々の親しい交わりをあきらめてはいけません。イエスは単にあなたが思い浮かべているだけの人物ではないのです。イエスが『あなたを愛している』と言うのを聞かずに、たとえ一日たりとも生きながらえることはできません。」
 マザーは、「魂の目」を開いてイエスを見るだけでなく、「魂の耳」を傾けてイエスの声を聞くことも修道女たちに勧めているのです。もし「魂の耳」を傾けさえするならば、伴侶であるイエスはいつでもあなたがたに優しく「あなたを愛している」とささやきかけているというのです。その言葉は、過去からの語りかけではなく、今現在耳元でささやかれている語りかけでした。マザーは、次のように語っています。
 「イエスの言葉、それは過去からのものではありません。ここで今、生き生きとあなたたちに語りかけられる言葉なのです。それを信じますか?もし信じるならば、あなたたちはその言葉をこころで聞くでしょうし、イエスの存在を感じるでしょう。」
 マザーにとって、イエスの言葉は単に聖書を読んで思い返すものではなく、日々新たに語りかけられる言葉だったのです。イエスは、わたしたちの心の深みからいつもわたしたちに語りかけている。わたしたちがその声に気づかないのは、「魂の耳」を開いてその声に耳を傾けないからだとマザーは考えていました。
 では、どうすれば「魂の耳」を開くことができるのでしょうか。その答えは、沈黙だと思います。わたしたちの心の中には、絶えず大きな声が響いています。心の奥底から小さな声でわたしたちに語りかけているイエスの声を聞くためには、「あれがしたい」、「これが欲しい」、「あの人が憎い」などと叫ぶエゴの大声を静めることが必要です。そのような人間的な思いから離れ、心を静かにしたとき、初めて「魂の耳」が開かれるのです。心の沈黙の中でのみ、わたしたちはイエスの呼びかけを聞くことができるのです。
③回心の呼びかけ
 ダージリンに向かう列車の中で神の呼びかけを聞いたあと、マザーがカルカッタ大司教ペリエール師に宛てた手紙には、マザーがどれほどはっきりとイエスの呼びかけを聞いていたかが克明に語られています。
「イエスはすべての祈りと、そして聖体拝領のあいだに絶え間なく呼びかけています。『あなたは拒むのですか。あなたの魂には迷いがあるのですか。わたしは自分のことを考えずに、あなたのために、自由に十字架上で自分を捧げました。あなたはどうするのですか。あなたは拒むのですか。』」
 ロレット修道会を出て貧しい人々のために働くことをためらうマザーに、イエスがはっきりした声で繰り返し決意を促していく様子がこの手紙には書かれています。祈りと聖体拝領の中で、マザーは自分に語りかけるイエスの声に「魂の耳」を傾けていたのです。自分自身が人々のために自分のすべてを差し出したように、あなたも自分のすべてを差し出しなさいと語りかけるイエスの声を、マザーは「魂の耳」ではっきりと聞いたのです。
④ビジョンの体験
 「魂の目」でイエスを見、「魂の耳」でイエスの声を聞くという体験の頂点にあるのが、ビジョンと呼ばれる体験です。この世界には存在しないものが、「魂の目」にありありと見えること。肉の目で見るのよりももっとはっきりとした映像が、神の恵みによって人の心に刻み込まれること。映像と共に、聞こえないはずの声が「魂の耳」にはっきりと聞こえてくること。生きながらにして「神の国」に足を踏み入れ、超越の世界をさまよう体験。それがビジョンです。
 マザーは、1947年にペリエール大司教に宛てた手紙の中で、次のような3つのビジョンを見たと語っています。

鄯.わたしはとても大きな群衆を見ました。あらゆる種類の人々がいました。とても貧しい人々や子どもたちもそこにいました。彼らは皆、彼らの真ん中に立っているわたしに向かって手を上げていました。彼らは叫びました。「来てください。来て、わたしたちを救ってください。わたしたちをイエスのもとに連れて行って下さい。」

鄱.もう一度とても大きな群衆を見ました。彼らの顔には大きな悲しみや苦しみが浮かんでいました。彼らと向かい合っている聖母のそばで、わたしはひざまずいていました。聖母の顔は見えませんでしたが、聖母が次のように言っているのが聞こえました。
「彼らの世話をしなさい。彼らはわたしのものです。彼らをイエスのもとに連れて行きなさい。イエスを彼らのもとにお連れしなさい。恐れてはいけません。ロザリオの祈り、特に家族そろってするロザリオの祈りを彼らに教えなさい。そうすればすべてのことはうまくいくでしょう。恐れてはいけません。イエスとわたしが、あなたと、そしてあなたの子どもたちと共にいます。」

鄴.同じ大きな群衆を見ました。彼らは闇に包まれていましたが、わたしは彼らを見ることができました。わが主は十字架につけられていました。聖母は十字架から少し離れた所にいました。わたしは小さな子どもとして聖母の前にいました。彼女の左手はわたしの左肩の上にあり、彼女の右手はわたしの右腕をつかんでいました。わたしたちは二人とも、十字架に向かい合っていました。
 わが主は言いました。「わたしはあなたに望んだ。彼らもあなたに望み、わたしの母もあなたに望んだ。なのにあなたは、わたしのためにこれをすることを拒むのか。彼らの世話をし、彼らをわたしのもとに連れてくることを。」
 わたしは答えました。「あなたはご存知です、イエスよ。わたしには、あなたのために直ちに出かけていく準備ができていることを。」
ヨハネ・パウロ2世の言葉
 マザーがとても大切にしていたヨハネ・パウロ2世の言葉があります。それは、次のようなものです。
「召命とは、あなたが存在の深みで受け止め、生きていく神秘です。祈りの親密さの中で、イエスはあなたの目をのぞきこみ、あなたの心に語りかけます。」
 召命、すなわち神様の呼びかけに答えて生きていくということは、わたしたちが存在の最も奥深い所で神様の呼びかけを受け止めることから始まるのです。この言葉は、わたしがまだイエズス会に入る前に、マザーの後継者となったシスター・ニルマラが個人的に教えてくれたものですが、修道者としての生き方に迷いが生じたとき、わたしはいつでもこの言葉に立ち返ることにしています。
 すべての執着を心の表面に置き去りにして存在の深みへと降り立ち、イエスと向かい合うとき、心の一番奥深いところでイエスの目を見、イエスの声に耳を傾けるとき、わたしの心に再び修道者として生きる力が湧き上がってきます。それは、イエスの愛に満たされる喜びであり、イエスのために自分のすべてを捧げていく喜びです。

(2)自己犠牲
 マザーとイエスをしっかり結びつけていたもう一つの絆、もう一つの喜びの源は、日々の生活の中でイエスの望むままに自分をイエスに捧げつくすことにあったようです。そのことをマザーは、「祝福された服従」と呼んでいました。日常生活の中での犠牲を通して自分をイエスに捧げることから、マザーはイエスと一つに結ばれる喜びを感じていたのです。
①私的誓願
 マザーの自己犠牲がどのようなものだったかを理解するためには、彼女が1942年に立てた私的誓願の内容を知る必要があると思われます。彼女がこのような誓願を立てていたことは、“COME BE MY LIGHT”の出版によって初めて公に知られるようになりました。
 誓願の内容は、「大罪の苦しみにかけて、神が望むものはなんでも神に差し出す。神に対して何も拒まない」というものだったそうです。
「神がわたしたちに御自身をお与えになったのです。わたしたちに対して何の借りもない神が御自身そのものをわたしたちに与えようというときに、わたしたちは自分の一部分を差し出すだけでよいのでしょうか?」
 そう考えたマザーは、霊的指導者と相談の上で秘密裏にこの私的誓願を立て、生涯守り通したのでした。1947年にペリエール大司教に宛てて書いた手紙の中で、マザーは祈りの中でイエスが「あなたは拒むのですか」と繰り返し語りかけたと述べていますが、その呼びかけはマザーが私的誓願を守るようにとの促しでもあったのです。
 現代では私的誓願という習慣はあまり行われていませんが、1940年代頃には何人かの聖人たちが私的誓願を終世守り通すことで聖性に達したということが伝記などを通して知られていたそうです。また、アルバニア民族の習慣である「ベサ」という誓いの様式も、マザーが私的誓願を立てた理由の一つではないかと考えられています。「ベサ」として誓ったことは、たとえ自分が殺されても守るというのがアルバニア人の習慣だったそうです。このような習慣になじんでいたマザーにとって、私的誓願を立てるということは違和感のないことだったのでしょう。
②自分を捧げる喜び
 マザーにとって、この誓願を守ることはイエスを愛する喜びの源になっていきました。マザーは「誰かが悲しそうな顔をしているのを見るとき、わたしはいつも、彼女は何かをイエスに差し出すのを拒んでいるのだと思います」と語っています。日々の生活の中での体験に基づいて、何かを自分のものにしようとして執着するときそこから悲しみが生まれ、何かを神様のために捧げるときそこから喜びが生まれるとマザーは思っていたようです。
 わたしたちも、おそらくこのことを体験から理解することができるのではないでしょうか。たとえば人からの評価に執着していると、いつも「みんなはわたしのことをなんと言っているのだろう」と心配しながら生きなければなりません。少しでも悪口を言われると腹が立ち、相手に対して報復しなければという情念に駆られることになります。これは、喜びとは正反対の状況でしょう。
 ですが、この執着を手放してすべてを神様に委ねたとき、人からの評価よりも神様からの評価が大切だと気づき、もう人目には左右されなくなったとき、わたしたちは心からの自由と喜びを味わうことができます。人がどう思おうと、神様の前で恥じることのない生き方を貫きさえすればよい。人からの評価は、あとからついてくるものであって、決して目的ではない。心からそう思えるようになったとき、わたしたちはもう何も恐れず、ただ神様だけに忠実に生きていくことができるようになるのです。
マザーは「快活さは、犠牲や神との絶え間ない一致、熱心な信仰、寛大な心などを覆い隠すマントです」とも語っています。自己犠牲によって生まれる神との一致こそ、喜びに満ちた快活さの源だということでしょう。イエスに自分を捧げれば捧げるほど、人間的な執着から解放されればされるほど、マザーはイエスとの深い一致の中で喜びに満たされていったのです。
マザーは、修道女たちに次のように勧めています。
「イエスの喜びを、力として保ち続けなさい。幸せで、落ち着いていなさい。イエスが与えるものは何でも受け取り、イエスが取り去るものは何でも笑顔で差し出しなさい。あなたはイエスのものなのです。『わたしはあなたのものです。もしあなたがわたしを切り刻むのなら、その一片一片はすべてあなただけのものです』とイエスに言いなさい。」
 すさまじいほどの言葉ですが、マザーが好んで使っていた表現です。自分のすべてを、徹底的に捧げつくすことがイエスを愛する喜びの源であることを修道女たちに教えるために、マザーはあえてこのような表現を使ったのだと思います。
③3つの資質
 マザーは、「神の愛の宣教者」の資質として、「愛をこめた信頼」(loving trust)「全面的な自己放棄」(total surrender)「快活さ」(cheerfulness)の3つを上げていました。
 これらの資質は、根底においてつながったものだと思います。もしイエスの愛を心の底で感じることができれば、イエスに対する信頼は揺るぎのないものとなるでしょう。イエスへの全面的な信頼があれば、イエスの教えをこの世界に実現していくために、安心して自分のすべてを捧げることができるようになります。イエスの愛に満たされ、あらゆる執着から解放されて自由に生きるとき、わたしたちの心の底から喜びが湧き上がってきます。そのようにして生まれる喜びは、わたしたちの生き方を快活にせずにはおきません。逆に、もしわたしたちが快活に生きられないとすれば、どこかでイエスへの信頼が欠け、全面的な自己放棄ができていないということになります。
 マザーの快活さは、イエスへの愛をこめた信頼と、その実りとしての全面的な自己放棄に支えられたものでした。それが彼女を「喜びの使徒」にしたのです。
(3)ミサ
「わたしたちは毎日、御聖体の大切な恵みをいただいているのですから、その恵みの中でのキリストとの交わりが、まずわたしたちの祈りです。キリストへの愛、キリストのそばにいることの喜び、キリストの愛への自己放棄、それらこそがわたしたちの祈りなのです。祈りは完全な自己放棄、キリストとの完全な一致以外の何ものでもないからです。これこそがわたしたちを、世界のただ中にいながらも観想者とするのです。」
 この言葉から、マザーにとって日々の祈りと自己犠牲の頂点にミサがあったことが分かります。マザーにとってミサとは、御聖体のうちにイエスを見、御聖体を通してイエスの語りかける声を聞き、「本当に生きている」存在としてのイエスに出会う祈りの頂点であると同時に、イエスに自分のすべてを捧げ尽くし、イエスと一致する自己犠牲の頂点でもあったのです。日々のミサの中で、マザーのイエスを愛する喜びは頂点に達していたと言ってもいいでしょう。マザーは、次のようにも述べています。
「ミサは、わたしを支えている霊的な糧です。ミサなしでは、わたしは人生の一日も、あるいは一時も過ごすことができなかったでしょう。ご聖体のうちに、わたしはキリストをパンの形で見ます。スラムでは、キリストを貧しい人々のこころ痛む姿の中に見ます。傷ついた体、子どもたち、そして死にかけた人々の中にです。だからこそ、わたしはこの仕事ができるのです。」
 御聖体をいただくときに頂点に達したマザーのイエスを愛する喜びは、そのまま貧しい人々の中におられるイエスに向けられていきました。ミサで感じたイエスを愛する喜びが、スラム街での彼女の活動を支え、またスラム街でのイエスとの出会いが、ミサでのイエスを愛する喜びをより深いものにしたのだろうと思います。ミサは、「喜びの使徒」としてのマザーの生活の頂点であり、すべての喜びの源だったのです。

3.まとめ
 マザーがイエスを愛する喜びを周りの人々に伝え続ける「喜びの使徒」であったこと、マザーの喜びの源が日々の生活の中での祈りと自己犠牲、そしてそれらの頂点としてのミサにあったことが以上から分かると思います。祈りの中で感じるイエスへの愛を縦糸とし、日々の自己放棄の中で実践する人々への愛を横糸として織り上げられたマザーの生涯は、喜びに満ち溢れたものだったのです。
 どれほど心の中でイエスを想い「あなたに全てを捧げます」と言っていたとしても、それだけではイエスを本当に愛していることにはならないでしょうし、心の底からの喜びも湧きあがってこないでしょう。愛は、想いと実践が結び付いた時に完成するものだからです。マザーは、イエスのための自己犠牲を通して、祈りの中で感じたイエスへの想いを真実の愛へと高めていくことができました。イエスへの真実の愛が、マザーの心にいつも喜びの炎をともし続けていたのです。
 さらに“COME BE MY LIGHT”に収められたマザーの書簡を読んでいくと、マザーには普通の人が体験できないような形で神から特別の恵みが注がれ、それがもう一つの喜びの源になっていたことが分かります。それが、いわゆる「魂の闇」の体験です。このことについては、次回以降詳しくご説明しようと思います。