カルカッタ報告(38)8月27日ハンセン氏病センター①


 このセンターは、シスターではなくブラザーたちの手によって運営されている。
 ちょっとわかりにくいが「神の愛の宣教者会」は、活動するシスターたちの会、祈りの生活を送るシスターたちの会、活動するブラザーたちの会、祈りの生活を送るブラザーたちの会、そして司祭会の5つの会から構成されている。「神の愛の宣教者会」(Missionaries of Charity)は英語の頭文字をとってM.C.と呼ばれているが、M.C.を構成するそれぞれの会は、それぞれM.C.シスターズ、M.C.コンテンプラティブ・シスターズ、M.C.ブラザーズ、M.C.コンテンプラティブ・ブラザーズ、M.C.ファーザーズと呼ばれている。どれも独自の総長を持つ独立した修道会なのだが、そのどれもが「神の愛の宣教者会」の一部なのだ。マザーは、このグループのことをM.C.ファミリーと呼んでいた。
 1950年にマザー・テレサが創立し、長年にわたって総長を務めたのは、このうちのM.C.シスターズだ。チッタガールのハンセン氏病センターを担当しているM.C.ブラザーズは、1963年、当時イエズス会の司祭だったアンドリュー神父によって創立された。港湾労働者や男性の知的障害者の世話をするために、どうしても男手が必要だと感じたマザーが、第三修練のために偶然カルカッタに来ていたアンドリュー神父にブラザーの会の創立を頼み込んだらしい。アンドリュー神父はマザーの活動に深く共鳴し、イエズス会を辞めてブラザーとして新しい出発をする決意を固めた。その結果として生まれたのがM.C.ブラザーズだ。シスターたちと比べると人数は10分の1にも満たないが、シスターたちと協力しながら現在も世界中で愛の奉仕を続けている。カルカッタ周辺では、この施設の他にナボジボンという障害者のための施設を運営しているし、「死を待つ人の家」の男性病棟の手伝いなどもしている。
 ブラザーたちに案内されて建物の2階に上がり、テラスに出て外を見たとき、なぜわたしがこの建物を見てもピンとこなかったのかが分かった。鉄道の線路をはさんで向い側に、懐かしい入口と看板が見えたからだ。この建物は、昔からある建物の向かい側に建てられた新しい建物なのだ。わたしたちは、その新しい建物の2階に案内された。大きなスクリーンとプロジェクターのある、立派な会議室だった。わたしたちが席に着いて待っていると、このセンターの責任者のブラザーが出てきて、スクリーンに映像を映しながらハンセン氏病のことについて説明してくれた。
※写真の解説…ハンセン氏病センターの入口。1994年に撮影したもの。