カルカッタ報告(64)8月28日Dr.ハリー・ダス


 次はどの患者さんにマッサージしようかなと思って病棟の通路を歩いていたとき、見覚えのある顔に出会った。患者さんたちに配る薬の仕分けをしているインド人のお医者さんなのだが、もしかしてと思って話しかけるとやはりDr.ハリー・ダスだった。
 Dr.ハリー・ダスは、知る人ぞ知る「死を待つ人の家」の名物医師だ。今年72歳になるのだが、38歳のときこの施設を見学に来たことから彼の人生が変わってしまった。マザーやシスターたちの献身的な介護の姿から何かを感じた彼は、それ以来毎日、午前中を「死を待つ人の家」の患者さんたちの診察に当てるようになったのだ。もちろん、まったく報酬のないボランティアとしてだ。午前中はここで働き、午後は自分のクリニックで働くという生活を、もう34年も続けていることになる。彼がいなければ、「死を待つ人の家」の治療水準は今よりずっと低いものにとどまったかもしれない。「神の愛の宣教者会」の活動は、彼のような人によって土台を支えられているのだ。
 懐かしかったので、近くのベッドに座ってしばらく話した。最近のこの家の状況を尋ねると、昔よりはずいぶんましになったとのことだった。今、運ばれてくる人の中でこの家で亡くなる人の割合は25%くらいだという。死亡率は減ったが、その分繰り返しこの家に来る人の数が増えたとのことだった。わたしたちが話している隣のベッドで寝ている患者さんなどは、もう10回も運び込まれてはよくなって出ていくということを繰り返しているそうだ。
 昔は結核で瀕死の患者さんが多かったが、今、結核の患者さんは減ったという。むしろ、極度の栄養失調による腫瘍、浮腫などで運ばれてくる人が多いそうだ。確かに激しく咳き込んでいる患者さんの姿はあまり見かけない。わたしが働いていたころは、患者さんの4分の1くらいが結核の患者さんだった。豊かになり、衛生環境も向上していく一方で、食べるものがなく極度の栄養失調に陥る人が増えている。そんなところだろうか。
 「それにしても、よく34年もこの仕事を続けられましたね」、とわたしはDr.ハリー・ダスに尋ねた。信仰が支えたのかと聞くと、そうでもないと言う答えだった。自分は一応ヒンドゥー教徒だが、それほど熱心なヒンドゥー教徒ではない。「むしろ、ヒューマニストとしてわたしはこの仕事をしている」という。「カフカの本に出てくるお医者さんのようですね」、とわたしが言うと「いや、わたしはあれほどペシミストじゃないよ」と彼はほほ笑みながら答えた。
 「自分がこの仕事を続けられたのは、ここにいるのが心地よかったからだろう」と、Dr.ハリー・ダスは続けた。「外の世界は物欲や出世欲にまみれ、他人を踏みつけてでも自分が上に出ようとするような人たちであふれている。わたしは、そんな世界にいると居心地が悪くて仕方がない。ここで、病気の人たちと向かい合っているとそんな世界のことを忘れて、生きることの原点に立ち返ることができるんだよ。」そう言ってから、彼は隣で寝ている患者さんの手をとって、「彼らはわたしの先生なのさ」と言った。何のてらいもない語り口から、彼がこの34年間に学んだことの奥深さが伝わってくるようでわたしは心を打たれた。
※写真の解説…街角でゴミをあさる子牛。