やぎぃの日記(61)吉村先生と語る会


 先週の土曜日、「ともに考える会」で六甲学院教諭の吉村信夫先生にお話していただいた。改めて紹介するまでもないと思うが、吉村先生と言えば「信徒の時代」の先駆けとして長年にわたって活躍してこられた方だ。今も日本各地の教会に招かれ、講演会活動を続けておられる。
 久しぶりの「ともに考える会」だったので何人くらい集まるのか心配だったが、結果として20人ほどの若者が集まった。これまで何らかの形で吉村先生に助けられたり、励まされたりした体験のある若者が何人もいて、彼らが他の若者たちに声をかけてくれたようだった。わたし自身は、これまで何回か吉村先生と合宿に行たことがある。だが、ゆっくりまとまった話しを聞くのはこれが初めてだった。
 話しは、人生における冒険や出会いの重要性というところから始まって、体験に基づいて創造的に生きるために批判精神を身につける必要があるということ、イエスとの出会いの体験がすべての出発点であり、イエスと出会わなければ何も始まらないということ、これからの信徒と司祭の協働の在り方など多岐にわたった。
 中でも、「苦しむ人々と出会い、この人たちのために何かをせずにいられないと全身で感じた原体験から出発して、その思いを貫いて生きることこそキリスト教徒の生き方だ」という指摘は実にその通りだと思った。わたし自身、子どもの頃にテレビで見た難民たちの姿や、貧しい人々を助けるマザー・テレサの姿が原体験になってここまで来たようなところがある。マザー・テレサの場合、1946年9月10日に起こった十字架上で渇くイエスとの出会いが原体験であったことは明らかだ。イエスも、すべての出発点は神の助けを求めて叫んでいる人々との出会いだったに違いない。出会いの衝撃によって自分のまわりに作った居心地のよい部屋の壁を壊し、ひたすら「神の国」の実現に向かって進んでいく、それでこそキリスト教徒だろう。
 実際にキリスト教徒として何十年もそのように生きてこられた吉村先生の話は、本当に迫力があり、胸に迫ってきた。吉村先生の話しをもっとたくさんの人に聞いてもらいたい。聖職者中心の教会のあり方を根底から変えていくために、吉村先生のような信徒こそ必要だと強く思った。
※写真の解説…若者たちに熱く語りかける吉村信夫先生。