マザー・テレサの言葉を読む(16)神の大いなる力


自分の無力さを受け入れられたとき、
神の大いなる力がわたしたちを満たします。

 神はいつでもわたしたちの心にあふれるほど愛を注ぎたくて仕方がないのですが、それを妨げる大きな壁が一つあります。それは、わたしたちの傲慢です。
 自分は有能で、何でも自分でできると思い込んでいる人は、自分の周りに傲慢の壁を作ってしまいます。そうなると、もう神であってもどうすることもできません。神がどれほどその人に愛を注いでも、誰の助けも必要ないという思いあがりが壁となって神の愛を阻んでしまうからです。
 神の愛を受け止め、その力によって生かされるためには、この傲慢の壁を打ち砕く必要があります。思いあがりを捨てて、自分が無力なものであること、神の助けなしには何もできない弱い人間であることを率直に認める必要があるのです。
 自分の無力さを認められたときにだけ、わたしたちはすべてを神にさらけ出し、全身全霊で神の愛を受け止めることができます。神の愛はわたしたちの心と体を隅々にまで満たし、力づけてくれるでしょう。これは本当に大きな恵みです。
 この恵みを与えるために、神はときどきわたしたちに大きな試練を下すことがあります。仕事に失敗したり、家庭に大きなトラブルが起こったりしてもう自分の力ではどうしょうもなくなったとき、わたしたちは自分の無力さをいやというほど味わうことになります。そんなとき、わたしたちの周りに張り巡らされた傲慢の壁が音を立てて崩れ、わたしたちの心に神の愛が注がれることになります。その意味で、試練は神がわたしたちを救いたい一心でわたしたちに与える恵みの一つだと言えるでしょう。
 マザーはよく、「自分は神の手の中の小さな鉛筆にすぎない」と言っていました。無力な自分を認め、神にすべてを委ねているということです。その結果、マザーを通して何が起こったかわたしたちはよく知っています。マザーに大いなる神の力が働き、マザーを通して何百万人もの人々が救われたのです。わたしたちもマザーにならい、無力な自分を神の大いなる力に差し出していきたいものだと思います。