マザー・テレサ生誕100年記念写真展News(43)生誕100年祭終了御礼Ⅱ


会場の様子。お話ししてくださっているのはボーガルト神父様。
2.第Ⅱ部 祈りと感謝のとき
15分の休憩をはさんで、第Ⅱ部「祈りと感謝のとき」が行われました。式次第を御紹介します。
・始めの歌 「Something Beautiful for God」
・始めの祈り アンドレ・ボーガルト神父淳心会司祭)
・聖書朗読 詩篇139:1-12 高塚晃弘氏(神の愛の宣教者会神学生)
主よ、あなたはわたしを究め/わたしを知っておられる。
座るのも立つのも知り/遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
歩くのも伏すのも見分け/わたしの道にことごとく通じておられる。
わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに/主よ、あなたはすべてを知っておられる。
前からも後ろからもわたしを囲み/御手をわたしの上に置いていてくださる。
その驚くべき知識はわたしを超え/あまりにも高くて到達できない。
どこに行けば/あなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。
天に登ろうとも、あなたはそこにいまし/陰府に身を横たえようとも/見よ、あなたはそこにいます。
曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも
あなたはそこにもいまし/御手をもってわたしを導き/右の御手をもってわたしをとらえてくださる。
わたしは言う。「闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す。」
闇もあなたに比べれば闇とは言えない。夜も昼も共に光を放ち/闇も、光も、変わるところがない。

・メッセージ 「闇に輝く光」 片柳弘史神父カトリック六甲教会司祭、イエズス会員)
・マザーの言葉を味わう祈り
「大切なのは、どれだけ大きなことをするかではなく、
小さなことにどれだけ大きな愛を込めるかです。」

⇒自分のために大きなことをする人よりも、誰かのために真心をこめて小さなことをする人を神さまは喜ばれます。マザーにならって、わたしたちも小さなことを大切にしながら生きられますように。
「愛の反対は憎しみではありません。
 愛の反対は他者への無関心です。」

⇒誰かの苦しみに関心を持つなら、その人のために何かせずにいられなくなります。マザーにならって、わたしたちもすべての人を大切な「神の子」、「わたしたちの兄弟姉妹」と思うことができますように。
「周りの人々から受け入れられず、
 自分自身でさえ自分を受け入れられないときでも、
 神さまはあなたを愛しています。」

⇒神様がわたしたちを愛しているのを忘れて、自分は誰からも愛されていないと思いこみ、自暴自棄になるのは愚かなことです。マザーにならって、わたしたちも神様の愛を信じて生きられますように。
「わたしにできないことが、あなたにはできます。
 あなたにできないことが、わたしにはできます。
 力を合わせれば、神さまのために何かすばらしいことができるでしょう。」

⇒自分の限界を認め、相手に与えられた賜物の価値を認める謙虚さから、神の大いなる業が始まります。マザーにならって、わたしたちも謙虚さのうちに互いを認め合いながら生きられますように。
「神が与えてくださるものは何でも笑顔で受け取り、
 取り去られるものは何でも笑顔で差し出しなさい。」

⇒わたしたち自身よりもわたしたちのことをよく知っておられる神様は、わたしたちに必要なものを与え、不要なものを取り去られます。マザーにならって、わたしたちも神への深い信頼のうちに生きられますように。
・賛美の歌 「いつくしみと愛」(ウビ・カリタス)独唱・橋岡尚美カトリック六甲教会信徒)
・祝福 アンドレ・ボーガルト神父淳心会司祭)
・終わりの歌 「大好きなマザー・テレサ

マザーの「霊的な闇」についてのメッセージを語る筆者。
「暗闇の聖人、マザー・テレサ
片柳弘史(カトリック新聞2010年8月1日号掲載記事)
「私がもし聖人になるなら、それは『暗闇の聖人』でしょう」、マザー・テレサは生前、手紙の中にそう書き記した。暗闇の中に生きた自分は、暗闇の中に生きる人々のために働く聖人になるだろうというのだ。マザーが生きた暗闇、それは一体どのようなものだったのだろう。
(1)喪失ゆえの苦しみ
この暗闇を、マザーは「喪失ゆえの苦しみ」と呼んでいる。この闇は、イエスを失ったことによる苦しみだというのだ。
マザーが1946年9月10日、ダージリンへ向かう列車の中でイエスと出会った話は有名だが、その体験以来マザーの傍にはいつもイエスがいたようだ。「すべての祈りとミサのあいだ、イエスがわたしに語りかける」とさえマザーは書き残している。寄り添うイエスに励まされ、手を引かれるまま、マザーはスラム街へと出て行き「神の愛の宣教者会」を設立した。ところがそのイエスが、ある日突然マザーの前から姿を消してしまったらしい。1950年頃のことだ。
そのころ指導司祭に宛てた手紙の中に「わたしの心は苦しみでいっぱいです。この苦しみは、喪失ゆえの、憧れゆえの苦しみです」とマザーは記している。この苦しみは、イエスを失い、その愛に憧れることによる苦しみだというのだ。
(2)イエスの聖心を信じて
 どれほど呼び求めても、イエスが戻ってくることはなかった。冷たい闇の中に取り残されたマザーは、ただ「盲目的な信仰」だけを頼りに進んでいくことになる。このときの心境をマザーは「わたしはもう『イエスの聖心よ、あなたを信じます』としか祈ることができません」と記している。イエスの愛を実感することができなくなった今、マザーは、イエスの聖心に溢れているはずの愛をひたすら信じて進むしかなかったのだ。
(3)闇を愛する
変化が訪れたのは1961年のことだ。ある黙想会の後、指導司祭に宛てて書いた手紙の中でマザーは次のように語っている。
「この11年で初めて、わたしは闇を愛することができるようになりました。なぜなら、今のわたしは、この闇が地上でイエスが味わった闇の小さな一部でしかないと信じているからです。」
 苦しみは残り続けたが、深い祈りの中でマザーはその苦しみをイエスが十字架上で味わった闇の一部と感じられるようなったらしい。イエスは、十字架上で神のために自分の命さえ捨てようというときに神の存在を見失い「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫んだ。この神の喪失の苦しみをイエスと共に担う使命を神から与えられた、とマザーは受け止めたのだ。そのとき以来、苦しみはマザーとイエスを結びつける絆としてそれ自体が恵みの源になった。
 闇の苦しみを味わいつくしたマザーは、神の愛を感じられずに苦しむ人々に心から共感し、彼らのために働く「暗闇の聖人」になることを希望した。マザーは今日も苦しむ人々の傍らにいて、彼らにほほ笑みかけているに違いない。


マザーの遺品に見入る人々。