祈りの小箱(53)聖イグナチオ『敵の誘惑に打ち勝つ』


聖イグナチオ『敵の誘惑に打ち勝つ』
 今日、7月31日はイエズス会創立者、聖イグナチオ・デ・ロヨラの記念日。そこで、今回は聖イグナチオの言葉の中から、「敵」すなわち悪魔の誘惑に打ち勝つためのアドバイスをご紹介したいと思います。この言葉の中で、聖イグナチオは悪魔がわたしたちを打ち負かすために用いる2つの手段を暴いています。それは、神などもう必要ないと思わせる傲慢と、神から見捨てられたと思い込ませる絶望です。
 悪魔の攻撃は、わたしたちを苦しませることだけではありません。悪魔の最終的な目的は、人間を神に背かせることですから、そのために役立つならば人間を喜ばせるようなことだってします。例えば、悪魔はわたしたに地上での目覚ましい成功や、巨万の富を与えることもあるのです。名誉や地位、富を得た人間は、自分の力を過信し、自分の力で何でもできるかのように思い始めます。そして、神のことではなく自分の名誉や地位、富を守り、増やすことばかりを考えるようになるのです。そうなれば、もう悪魔の思うつぼ。神に背を向けたその人は、あらゆる罪の中に落ちてゆくでしょう。これが傲慢の罠です。
 傲慢の罪に陥りそうになったときには、「自分の罪とみじめさを数え上げて自己を卑下」するようにと聖イグナチオは勧めます。「自分は完全だ」という思い込みを捨て、自分の不完全さ、欠点、弱さを直視すること。どんなに名誉や地位、富を蓄えても、自分の力では健康を守ることも、寿命を1日延ばすことさえもできないみじめな存在だと思いだすことによって、神に立ち返るようにと言うのです。
 悪魔の攻撃の最も典型的なものは、ヨブ記にも見られるように、わたしたちを「低めて押さえつける」こと、名誉や地位、富、健康などを奪い取り、「もうどこにも希望がない。神はわたしを見捨てた」と思い込ませることです。悪魔は、「どうせわたしなんかダメだ」という思い込みによってわたしたちの目をふさぎ、神の愛を見えなくしてしまうのです。それが絶望の罠です。
 しかし、現実はそれとまったく違います。絶望に陥りそうになったときには、「主がどれほど恵みを与えて下さったか」、「主がどれほどの愛と熱望をもってわたしたちを救おうとしているか」を思い出すべきなのです。わたしたちがひどく苦しんでいるとき、イエスはわたしたちのすぐ隣にいてわたしたちを何とか支えようと手を差し伸べています。その手を見えなくするのが思い込みであり、その手を振り払うのが「どうせわたしなんか」という言葉なのです。
 敵である悪魔は、あらゆる手段を使ってわたしたちを神から遠ざけようとします。虚実をたくみに織り交ぜた言葉で、わたしたちを傲慢や絶望に誘い込み、「打ち負かそう」とするのです。聖イグナチオのこの言葉をしっかりと胸に刻み、相手の手口をよくわきまえることで、敵の誘惑に打ち勝つことができるよう祈りましょう。
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