バイブル・エッセイ(142)左の頬も


「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」(マタイ5:38-42)
 「悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」これは普通に考えるとまったく理不尽な命令で、受け入れがたいように感じます。なぜイエスはこんなに厳しいことを言うのでしょうか。
 この命令は人間の理解を越えた厳しさを持っていますが、実はその厳しさは人間の理解を越えた神の愛の深さを示していると思います。悪人や暴力を振るうような者であっても神にとっては大切な子どもであり、神は誰一人滅びることを望んでおられないのです。神は、それほどまでに人類を愛し、すべての人が例外なく救われることを望んでおられるのです。
 わたしたちキリスト教徒には、このような神の愛を証する使命が与えられています。だとすれば、わたしたちは悪人や自分を迫害する人々に対して手向かうのではなく、むしろ愛の手を差し伸べきでしょう。神の愛を見失って悪の道に迷い込んだ人々をなんとかして救い出すために、彼らを神のもとに連れ戻すために、自分の頬も、着物も労力も、すべてを差し出すことがキリスト教徒に求められているのです。
 神の愛によって救われたわたしたちが、悪に手向かうことなくむしろ自分を差し出すことで悪に陥った兄弟姉妹を救うことができるよう、そうすることで全ての人の救いを願う神の愛を証することができるよう、聖霊の助けを求めて祈りながらミサを捧げていきましょう。
※写真の解説…赤目四十八滝の一つ、千手滝。