バイブル・エッセイ(144)あなたがおいでになる所なら


一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」(ルカ9:57-58)
 「人の子には枕する所もない。」イエスからそう言われたら、わたしたちは何と答えるでしょうか。
 今から10年前のことですが、わたしはミンダナオ島の奥地の村に送られたことがあります。つい最近まで原始の生活を続けていた、電気も水道もトイレも何もない未開の部族の村です。道もないので、わたしたちは渓谷を歩いてその村まで行きました。大半の道のりは川の中を歩いたのですが、川にはもちろん深いところもあるし、滝もあります。川の両側はすぐに岩や土の壁でしたから、そのたびごとに岩をよじ登り、断崖に彫られた幅10センチもないような細道を横這いで歩かなければなりませんでした。万が一足を滑らせれば、濁流が渦巻く谷底にまっさかさま、命はありません。「なんでこんな所に来てしまったんだ」とわたしは心の底から思いました。
 そんな道を1日歩いて、なんとか奥地の村にたどり着きました。すぐに夜になったので簡単な食事をして寝ましたが、竹で組まれた簡素な高床式の家には屋根はあっても壁がありませんでした。枕なんてもちろんありません。その夜は寒さでほとど眠れませんでした。
 翌日のことです。わたしが下に下りていくと、子どもたちがたくさん集まってきました。みんな大きくてきらきらした瞳を輝かせてわたしの方を見ています。持って行った笛を吹いてあげると、大人たちも集まって来て、わたしの周りに大きな人だかりができました。そうやって村人たちと交流しているうちに、わたしはまるで自分の故郷に戻ってきたような安らかな気持ちになりました。きらきら輝く子どもたちの瞳の向こうから、イエスがわたしに向かってほほ笑んでいるようにさえ思えました。
 そのときわたしは気づかされました。世界中のいたるところで、イエスがわたしを待っていてくれる。「世界がわたしたちの家」というイエズス会のスローガン通り、たとえ屋根も枕もなかったとしても、世界中どこでもイエスがいる限りそこがわたしたちの家なのだと。
 「人の子には枕するところもない。」そう言うイエスに、わたしたちは「あなたがおられる限り、どこであってもそこがわたしたちの家です」と力強く答えたいものです。

※写真の解説…部族の村へ向かうわたしたち(真中で杖を振り上げているのが筆者)。1999年、フィリピン、ミンダナオ島の奥地にて。