マニラ日記(19)大黙想に向けて


10月16日(土) 大黙想に向けて
 10月も半ばを過ぎ、いよいよ大黙想が間近に迫ってきた。大黙想に備えて、今週はずっと『霊操』のテキストを読みながら講義を受けたり体験の分かち合いをしたりしていた。
 大黙想というのは、聖イグナチオが記した祈りの手引書『霊操』に沿って行われる1ヶ月の黙想会のことだ。病気にかからないために体を動かすことを「体操」と言うのに対して、聖イグナチオは、神の御旨に従って健全な信仰を保つために心を動かす祈りを「霊操」と呼んだ。イエズス会員は一生のうちに少なくとも2回、この「霊操」を体験することになっている。1回目は入会直後に、2回目は第三修練期に行われる。イエズス会員としての生涯の要となる、きわめて大切な黙想だ。
 講義と分かち合いを通して、いくつかのことを再確認した。まず何より、大黙想を行うためには自分の心の中にあるすべての動きをありのままに見つめ、認める勇気が必要だ。心を奥底まで見つめてゆく中で、もしわずかでも乱れた心の動きがあればその理由を探り当て、痛悔の涙のうちに根源から神に癒していただく。逆によい心の動きを見つければ、歓喜の涙のうちに神に感謝し、その恵みを心の底にまでしみこませていく。それが、「霊操」の基本となる霊動弁別ということだ。
 祈りの中では、イエスとの直接的な出会いが何よりも大切にされる。すべての感覚を研ぎ澄まして聖書の御言葉を感じること、今ここで聖書を通して自分に語りかけてくださっているイエスの言葉を全身全霊で受け止めること、それが何より大切だ。別の表現をすれば、聖書という入り口を通して「神の国」に足を踏み入れ、そこでイエスとの出会いを体験するのが「霊操」の祈りだとも言えるだろう。ただ頭を使って読んだり、研究したりするだけでは、聖書の表面を撫でているに過ぎない。中に入り込み、体験した時に、聖書に秘められた本当の救いの力が明らかになるのだ。
 大黙想中は断食をしたり、薄暗い部屋に閉じこもったり、肉体的にも精神的にも自分をぎりぎりまで追い詰めていくことがふさわしい場合もある。全力で大黙想にあたるため、これから1週間十分に心と体を整えていきたいと思う。
★10月23日の午後、ルソン市の郊外にある黙想の家に移動し、24日の晩から大黙想に入ります。11月25日の朝に大黙想が終わるまで外部との連絡は一切とれなくなりますので、このブログもその間1ヶ月ほどお休みをいただくことになります。どうぞお祈りをお願いいたします。
※写真の解説…朝焼けの空にはばたく鳥たち。アテネオ・デ・マニラ大学神学部展望台から。