バイブル・エッセイ(192)新しい名前


新しい名前
 エスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。」(マタイ16:13-18)
 「あなたはメシア、生ける神の子」とペトロが答えるやいなや、イエスはペトロに「わたしも言っておく。あなたはペトロ」とおっしゃいます。とても印象深い呼応です。「あなたにとってわたしがメシア、生ける神の子であるなら、わたしにとってあなたはペトロだ」というのです。
 聖書の中で、神から与えられた名前は、そのままその人に与えられた使命を表す場合があります。ペトロの場合がまさにそれです。シモン・バルヨナ、すなわち「ヨナの子シモン」は、この時イエスからペトロの名を与えられ、それと同時に教会の礎となる「岩」としての使命を与えられたのです。
 この出来事は、わたしたちにとってイエスが誰であるかが、イエスにとってわたしたちが誰であるかを決定することを意味しているように思います。わたしたちの信仰の深さに応じて、わたしたちにふさわしい使命がイエスから与えられるのです。信仰告白に応じてわたしたちとイエスとの関係が決まり、その関わりの中でわたしたちの人生の意味が決まると言ってもいいでしょう。
 エスを「メシア、生ける神の子」と何の迷いもなく告白できる人、「だからイエスと共にいる限り何も恐れることはない」と自信を持って人々を励ませる人は、「神の国」の建設において大きな役割を果たすことができます。だからこそ、シモンにペトロの名が与えられたのです。わたしたち自身はイエスを何と呼び、イエスからどんな名前、すなわち使命をいただくことができるでしょうか。
※写真の解説…赤目四十八滝にて。