バイブル・エッセイ(406)『つなげる使命』


『つなげる使命』
 エスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」(マタイ16:13-19)
「あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」とイエスはペトロに言います。ペトロと同じように、天国に入るための鍵、信仰を与えられたわたしたちも、この地上のすべてのひとを天国につなぐ使命を与えられていると言っていいでしょう。わたしたちは、すべての人を神の愛に「つなぐ使命」を与えられているのです。
 例えば、ホームレスの皆さんを訪ねておにぎりやお味噌汁を配る夜回りは「つなぐ使命」の一番よい例だと思います。ホームレスの皆さんの多くは、暗くて寒い路上で、誰かとつながりたい、人間の温もりとつながりたいと願っています。ですが、どんなにつながりたくても、つながってくれる人がいなければつながることができません。誰かが出かけて行って、つながる必要があるのです。おにぎりやお味噌汁に込められた愛を配ることによって、その人たちとつながること。わたしたちがつながることによって、その人たちを人間の温もりにつないでゆくこと。その人たちを人間社会につないでいくこと。それが、夜回りの使命だと言っていいでしょう。
 今日、イエスからわたしたちに与えられた使命も、それと同じです。この世界には、神の愛とつながりたいと思っている人たちがたくさんいます。本人は気づいていないかもしれませんが、競争社会に疲れ切り、誰かから無条件で受け入れられたい、愛されたいと願っているなら、それは神の愛を求めているということなのです。その願いは、神の愛の中でしか満たされることがない願いなのです。
 神の愛とつながりたいとどれほど思っても、つないでくれる人がいなければつながることができません。すでに神の愛とつながった人が、その愛を分かち合うことでつないでいかないなら、誰も神の愛につながることはできないのです。つなぐ方法は、何も夜回りだけとは限りません。社会に一歩踏み出して、そこでわたしたちが信じている通りに振る舞えばいいのです。一人一人の人を、神様の子どもとして大切にすればいいのです。幼稚園や老人ホーム、学校、病院など、わたしたちが出かけていくことができる場所はいくらでもあると言っていいでしょう。
 わたしたちと出会った人が、もし自分も大切な「神の子」だと信じることができたなら、「神の子」としての自信を持てたなら、それは、その人が天国とつながった証拠、その人が天国の一員に加わった証拠です。迫害を恐れることなくローマに向かい、人々を神の愛にしっかりとつないで殉教していったペトロ、地の果てまで出かけて行って、人々を神の愛につないだパウロにならって、わたしたちも「つなぐ使命」を果たすことができるように祈りましょう。