バイブル・エッセイ(221)自分を愛するように


自分を愛するように
 ファリサイ派の人々は、イエスサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(マタイ22:34-40)
 最も重要な掟は何かという問いに、イエスは「神である主を愛すること」、そして「隣人を自分のように愛すること」という2つの掟を答えました。ここで挙げられた掟は2つですが、実はイエスは3つのことを言っているのではないかとわたしは思います。「神である主を愛しなさい。そうすれば自分を愛することができるようになる。その時、自分を愛するように隣人を愛しなさい」ということです。
 「神である主を愛する」と言いますが、目に見えない神をどうしたら愛せるのでしょう。人間が神を愛するとは、神があふれるほどに与えて下さる愛の恵みに感謝するということだろうとわたしは思います。惜しみなく注がれる神の愛に気づき、喜びにあふれて感謝の祈りを捧げること、それこそ人間が神を愛するということです。朝起きては新しい朝を迎えられたことに感謝し、床については一日を無事に終えられたことを感謝する。食事の前には糧の恵みに感謝し、服を着ては温もりの恵みに感謝し、友だちに会っては交わりの恵みに感謝する。どれだけ多くのの恵みに気づき、神に感謝を捧げられるか、そこに「心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くし」ということがかかっているのではないかと思います。
 そのようにして神がどれだけ自分を気にかけ、大切にしてくださっているかに気づけば、わたしたちは自然に自分を愛することができるようになるでしょう。ありのままの自分を受け入れられるようになったとき、わたしたちは隣人を自分自身のように愛することができるようになります。
 ここは、少し説明が必要かもしれません。分かりやすい例で言えばこういうことです。自分が太っていることを受け入れられず、自分を愛せない人がいたとします。その人は、自分より痩せている人を見たときにひがみを感じるでしょう。そして、自分より太っている人を見は馬鹿にするようになるかもしれません。学歴がないことで自分を愛せない人は、自分より学歴がある人に引け目を感じますし、自分より学歴がない人を見下しがちです。自分に人気がないことで自分を愛せない人は、自分より人気がある人を受け入れにくいでしょうし、自分より人気がない人は憐れに思うかもしれません。そのように、自分の中に一つでも受け入れられないところがあると、そのことに関して隣人もありのままに受け入れることができなくなってしまうのです。太っていようと、学歴がなかろうと、人気がなかろうと、神はこれほどまでに豊かな恵みをわたしにそそぎ、愛してくださっている。神からこれほどまでに愛されているわたしは、たとえたくさんの欠点があったとしても、ありのままで生きるに値する存在だ。そのように感じて自分をありのままに受け入れ、愛することができたとき、わたしたちは隣人もありのままに愛することができるようになるです。まさに、「自分を愛するように隣人を愛しなさい」です。
 隣人を愛するためには、まず自分を愛すること。そして、自分を愛するためには、まず神を愛すること。それをしっかり心に刻んで、「心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くして神を愛する」ことから始めたいと思います。
※写真の解説…万博記念公園のコスモス。