バイブル・エッセイ(773)二つの掟


二つの掟
 ファリサイ派の人々は、イエスサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(マタイ22:34-40)
「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」という掟と「隣人を自分のように愛しなさい」という掟の二つこそ最も重要な律法であり、「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている」とイエスは言います。この二つの律法は、切り離して考えることができません。神を愛するからこそ、わたしたちは自分自身を愛し、隣人を自分のように愛することができるようになるからです。第一の掟を守って神を愛し、神の愛に満たされて生きている人だけが、第二の掟を実践することができるのです。
 ではどうしたら、神を愛することができるのでしょう。まずは、神さまの愛をしっかり受け止めることだと思います。神さまは、わたしたちが愛する前から、わたしたちを愛してくださっています。恩知らずで、わがままで、欠点だらけのわたしたちを、あるがままに受け入れ、愛してくださっているのです。神さまからの愛に気づくことから、神さまへの愛が始まります。神さまの愛に気づくとき、わたしたちは大きな喜びと感謝に満たされ、神を賛美せずにはいられなくなるのです。
「でも、どうしたら神の愛を感じられるのでしょう」とよく尋ねられます。神さまは目に見えないし、話しかけてもくれないからでしょう。ですが、神さまはわたしたちに、目に見える形で、いつもはっきり語りかけておられます。例えば、道端で咲いているコスモスの一輪を通してさえ、神さまはわたしたちに語りかけておられるのです。花の美しさに気づいて感動するとき、わたしたちの心に喜びが湧き上がってきます。それは、花の美しさを通して、神さまがわたしたちを励ましてくださったからなのです。花や鳥、この地上に存在するすべてのものは、神さまからのメッセージであり、わたしたち人間に宛てに愛情を込めて書かれたラブレターだと言っていいでしょう。大切なのは、その一つひとつに目を向け、耳を傾けて、しっかりメッセージを受け取ることです。神様の愛のメッセージに気づくとき、わたしたちは神を愛さずにいられなくなります。
 神さまと愛の絆で結ばれたなら、今度は「隣人を自分のように愛する」ことです。ここで大切なのは順番です。まずは、自分自身をあるがままに受け入れ、愛する必要があります。自分にあちこち気に入らないところがあり、自分を十分に愛することができない人が、同じように隣人を愛しても意味がないからです。どれほど弱く、欠点だらけだったとしても、神様はそんなわたしたちを「神の子」として愛してくださっています。神様がこれほどまでに愛して下さる自分を、あるがままに受け入れ、大切にする。それが自分を愛するということです。自分を愛することができたなら、次は「隣人を自分のように」愛しましょう。弱くて欠点だらけのその人も、自分と同じように神様から愛された「神の子」だと気づけば、きっと愛することができるようになるでしょう。
 第一の掟を実践していない人には、第二の掟を実践することができません。まずは、神の愛に気づいて感謝すること。そして、これほどまで神様から愛されている自分をあるがままに受け入れ、愛することです。神と確かな絆で結ばれ、心を愛で満たされた人だけが、「隣人を自分のように愛する」ことでこの地上に神の国を実現してゆくことができるのです。まずは、神を愛することから始めましょう。