【フランシスコ教皇の言葉】


フランシスコ教皇の言葉
 今回は、ワールド・ユース・デー参加のためブラジルのリオ・デ・ジャネイロを訪れていたあいだの教皇様の言葉です。分量が多いので2回に分けてお送りします。
■説教・メッセージから■
7月25日(木)リオ・デ・ジャネイロのスラム街にて
「持っている物を人々と分かち合えるときにだけ、私たちは本当に豊かになれる。そのことを、いつも忘れないようにしましょう。すべての分かち合われたものは、何倍にも増やされるのです。」
「飢えた人々にパンを与えることは確かに必要なことであり、正義の業です。しかし、もっと深い飢え、神だけが満たすことのできる幸せへ飢えもあります。生命、家族、教育、福祉、治安など、目に見えない、国を支える最も大事な柱を無視するなら、公共善の促進も、人間らしい成長もありえません。」
「若い友人の皆さん、皆さんは不正義に対して特に敏感ですが、すべての人の幸せよりも自分の利益を優先する人々の間に広がる腐敗の事実にたびたび失望させられています。決してあきらめてはいけません。信頼を失ってはなりません。希望の灯りを消させてはなりません。状況は変わります。人間は変わります。」
「あなたは一人ぼっちではありません。教会は、いつもあなたと共にいます。教皇は、いつもあなたと共にいます。私はあなたたち一人一人を胸に納め、喜びへの感謝、困難なときの助け、深い悲しみや苦しみのときの慰めなど、あなたたちの心の奥深くにある望みを自分の望みとします。」
7月24日(水)アパレシーダでのミサ
「神はいつもあなたたちの隣にいる、そのことを忘れてはなりません。神があなたたちを見捨てることはないのです。希望を失ってはなりません。邪悪な『竜』は人類の歴史の中に存在しました。しかし、悪が優位に立ったことはないのです。常に優位に立つのは神であり、神こそ私たちの希望なのです。」
「神に希望を置く人は、困難の中にあっても神が働き、私たちを驚かせることを知っています。神は、いつも私たちに一番よいものを取っておいてくださいます。ですが、神は私たちが神の愛によって驚かされること、サプライズを受け入れることを求めておられます。神を信頼しましょう。もし神に近づくなら、神と共にとどまるなら、冷たい水に見えたものは、神との友情の新しいぶどう酒に変えられるでしょう。」
キリスト教徒はペシミストではありえません。いつも嘆いてばかりいる人とは違うのです。もしキリストと本当に愛し合い、キリストがどれほど私たちを愛してくださっているかを知れば、私たちの心は、周りにいるすべての人の心を照らす喜びによって輝くでしょう。」
7月25日(木)コパカバーナの浜辺に集まった若者たちへ
コルコバードの丘から、贖い主キリストが私たちを抱きしめ、祝福しておられます。この海辺と皆さんを見ながら、私はティベリアス湖畔を思い出します。今日、キリストは再び私たち一人ひとりに尋ねておられます。『あなたは私の弟子になりたいのか、友になりたいのか、福音の証人になりたいのか』と。」
7月27日(金)司教、司祭、修道者とのミサ
マザー・テレサの言葉を思い出しましょう。『私たちは召命を大いに誇るべきです。召命は、貧しい人の中におられるキリストに仕える機会を与えてくれるからです。キリストを探し、仕えるために出かけるなら、それはスラム街です。祭壇で主を現存させる司祭のように、大きな喜びと共に出かけましょう。』」
「宣教者となる召し出しは、洗礼から流れ出すものであり、キリスト教徒であることの本質的な要素だということに若者たちが気づくよう助けましょう。まずは自分自身の家庭や、学び、働きの場での福音宣教に呼ばれていることに気づくよう助けましょう。」
「人々が福音を待ちわびているときに、教会に閉じこもっていてはいけません。歓迎するためにドアを開くだけでは不十分です。そのドアから出かけ、人々を探し、人々と出会わなければなりません。社会の片隅に追いやられている人々こそ、主の食卓に招かれるV.I.P.です。出かけて、街のあらゆる隅々に彼らを探しましょう。」
「効率や実益を求める社会の流れに逆らう勇気を持ちましょう。神の子の、一つの家族である恵みを拒まないようにしましょう。出会うこと、そしてすべての人を歓迎すること。連帯と友愛こそが、社会を真に人間的なものにします。」
※写真…フィリピン、マリキナ渓谷にて。