【フランシスコ教皇の言葉】


フランシスコ教皇の言葉
■説教・メッセージから■
9月17日(火)朝のミサ
「花婿は去り、教会は主を探し求めながら歴史の中を歩いていきます。その間、教会はひとりぼっちなのです。主はどこにも見当たりません。教会には、確かに寡婦としての側面があります。しかし、私たちの母なる教会は勇敢です。自分の子どもたちを知って守り、主のもとに導きます。」
9月21日(土)朝のミサ
「イエスのまなざしは、私たちを立ち上がらせ、元の場所にとどまることをゆるしません。がっかりさせたり、侮辱したりすることはありません。イエスのまなざしは立ち上がるようにと招きます。それは、あなたを成長させ、前に進ませ、励ますまなざしです。なぜなら、イエスはあなたを愛しているからです。だからこそ、マタイは『立ち上がって従った』のです。」
9月21日(土)教皇庁広報評議会総会へのメッセージ
「コミュニケーションについての議論の到達点は、現代の人々と、彼らの願いや疑い、希望を正しく理解するために、どうやって対話を始めたらいいのかを理解することです。彼らは、不毛に見え、信仰の恵みのもたらす深い意味を伝えようとしながらうまくいかないキリスト教によってがっかりさせられている人々です。」
「私たちは、グローバル化が進む現代社会において混迷と孤立が広がっていくのを目撃しています。人生の意味の喪失、『自分の居場所』とつながっていく力の欠如、意味のある関係を築くための労苦を見ることが増えているのです。だからこそ、どのように対話するか、彼らに耳を傾け、対話し、励ます存在を知らせるようなやり方で、どのように最先端技術やソーシャル・ネットワークを使うかが大切なのです。」
「問われているのは、ソーシャル・コミュニケーションや個人的な接触を通して、私たちの存在と人生の核にある美しさ、信仰の美しさ、キリストとの出会いの美しさを再び現すことができるかどうかです。このコミュニケーションの世界においても、教会は人間の心の温もりを伝えなければならないのです。」
「大いなるデジタル大陸は、技術だけではなく、希望や苦しみ、心配事と共に生きる現実の人々、真実で美しく、善いものを追い求める人々によって成り立っています。人々の心にキリストを運んだ聖母マリアのように、私たちは喜びや希望によってキリストを運ばなければなりません。」
「道を見失うことくな無関心の雲を通り抜け、圧倒されることも迷わされることもなく暗闇の中に降り立ち、幻惑されることなく夢に耳を傾け、落胆することなく人々の失望を共有し、自分の力とアイデンティティーを失うことなく人生の大きな危機に直面している人々に共感しなければなりません。」
「私たち自身がコミュニケーションの手段だということ、本当の問題は最先端の技術を手に入れるかどうかではないことを忘れてはいけません。私たちが信じている神、全ての人々を深く愛する神は、私たちの手に入れられる手段を通してご自身を現したいと望んでおられます。それがどれほど貧弱なものであってもかまいません。なぜなら、働かれるのは神であり、私たちを変え、救うのは神だからです。」
9月22日(火)
「私たちは、マリアのまなざしと出会うために集まりました。マリアのまなざしの中には、マリアを神の母とした父なる神のまなざしと、マリアを私たちの母とした十字架上のキリストのまなざしが映し出されています。マリアはいま、そのまなざしで私たちを見つめています。私たちのことを誰よりもよく知る母のまなざし、共感と思いやりに満ちたまなざしを、私たちは必要としています。」
「私たちには、本能的に関心をあまり払わない人たちがいます。ですが、そのような人たちこそ、私たちの関心を最も必要としています。社会から完全に見捨てられた人々、病気の人々、寄る辺のない人々、イエスを知らない人々、困難の中にある若者、仕事を見つけられない若者などです。出かけて行って、マリアのまなざしで兄弟姉妹を探すことを、ためらってはなりません。マリアは、私たちが真の兄弟姉妹になるよう招いています。私たちとマリアのまなざしのあいだに、何ものも入り込ませてはなりません。母マリア、私たちを見つめてください。」
教皇様のツイート■
9月17日(火)
「この世界には、助けを求めている人たちがたくさんいます。私たちは、自分のことばかりに没頭していないでしょうか。助けを求めている人たちに気づいているでしょうか。」
9月19日(木)
「私たちは誰もが罪びとですが、神からゆるされる喜びを体験し、神の慈しみを信頼して前に歩き続けるのです。」
9月20日(金)
「キリストはいつも私たちに忠実です。私たちも、いつもキリストに忠実でいられるよう祈りましょう。」
9月21日(土)
「本当の愛には勇気が必要です。助けを必要としている人たちのために手を汚すことを、恐れてはなりません。」
※「手を汚す」=「実際に自分で物事をする。」(株式会社岩波書店 広辞苑第六版)
9月23日(月)
「イエスを証すること以外に、教会は存在する意味も目的も持ちません。このことを、忘れないようにしましょう。」
9月24日(火)
「人間的な利害計算や恐れなしに、思いやりと愛をもって貧しい人々を見守る優しさを与えて下さるよう主に願いましょう。」