【フランシスコ教皇の言葉】


フランシスコ教皇の言葉
■説教・メッセージから■
4月16日(木)朝のミサでの説教
「前に進むのを好まない、生ぬるいキリスト教徒、後ろの席に座るキリスト教徒たちがいます。彼らは行儀よく、何でもうまくこなしますが、宣教や使徒的情熱によって人々を教会に連れて来ることはできません。使徒的情熱を与えて下さい、それによって人々から迷惑がられるほどになる恵みを下さいと聖霊に願いましょう。」
5月17日(金)朝のミサでの説教
「問題は、私たちが罪人だということではありません。問題は、罪を悔いず、自分がしたことに恥を感じないことです。ペトロは恥を感じていました。ペトロは罪人でしたが、堕落してはいなかったのです。誰もが罪人ですが、誰もが堕落しているというわけではありません。」
「私の知っているある司祭が、司教に任命されました。ですが、彼は自分が司教に値しないと感じて恥じ、霊的な苦しみを味わいました。彼が聴罪司祭のところに相談に行くと、聴罪司祭は彼の話を聞いて言いました。『心配することはない、もしペトロがあれだけのことの後で教皇にされたのだとすれば、あなたも大丈夫です。』」
5月18日(土)朝のミサでの説教
「教会の中にも噂話がはびこっています。私たちは互いを傷つけあっているのです。まるで、それぞれの足を引っ張り合いたいかのようにさえ見えます。自分が成長するのではなく、自分を大きく見せるために、相手を小さくしようとするのです。それは、初めは気持ちいいかもしれませんが、やがて魂を破滅させます。」
5月19日(日)聖霊降臨のミサでの説教
「神が私たちの人生にもたらす新しさは、一時しのぎではない満足をもたらし、本当の喜びと落ち着きを与えます。なぜなら、神は私たちを愛しておられ、私たちにとってよいことだけを望まれるからです。自分自身に尋ねてみましょう。『神のもたらす驚きに対して、心が開かれているだろうか』と。」
聖霊は、教会の中に乱れを作り出すものかもしれません。聖霊は、多様なカリスマや能力をもたらすからです。ですが、それらすべては大いなる豊かさの源になります。聖霊は、一致をもたらす霊でもあるからです。画一性ではなく、すべてを調和に導く一致です。」
聖霊は私たちの目をかなたの地平線に向けさせ、イエス・キリストの命を宣べ伝えるため、片隅に追いやられた人々のところへと駆り立てます。自分に尋ねてみましょう。『自分自身や自分のグループの中に閉じこもる傾向がないだろうか。聖霊による派遣を受け入れているだろうか』と。」
5月20日(月)朝のミサでの説教
「私たちは誰でも、心の中にわずかな不信仰を持っています。イエスに奇跡を行っていただくためには、謙遜で力強い祈りが必要です。奇跡を願う祈りは、すべてをかけた祈りでなければなりません。奇跡を起こしていただくために戦う、勇敢な祈りが必要なのです。」
5月21日(火)朝のミサでの説教
「誰かが世間的に見てよい仕事を与えられたとき、人々は『この人はあの組織の社長に上げられた』などと言います。『上げられた』というこの動詞は素晴らしいもので、私たちも教会で使うべきです。そう、『あの方は十字架に上げられた』ということです。それこそが本当の『上げられる』ということであり、わたしたちをイエスに似た者にします。」
5月21日(火)「神の愛の宣教者会」貧困者支援施設創立25年に当たってのメッセージ
「抑えの利かない資本主義は、どんなことをしてでも利益を上げるという論理、受け取るために与えるという論理、人間を見ることなく搾取するという論理を教えました。そのような態度の結果が、私たちがいま直面している危機です。」
5月22日(水)朝のミサでの説教
「私たちはすべてキリストの血によって贖われました。カトリック教徒だけではありません。すべての人が贖われたのです。無神論者でさえ。キリストの血は、私たちを第一級の神の子にして下さいます。ですから、私たちにはよいことをする義務があります。よいことをせよという掟こそ、平和への道です。」
5月22日(水)一般謁見でのメッセージ
聖霊降臨によってもはや神の前での驕りも、互いへの無関心もなくなりました。あるのは神に開かれた心、神の御言葉を告げるために出かけてゆく心だけです。聖霊は私たちの心に新しい愛の言葉を注ぎます。それは誰もが理解でき、どんな生活や文化の中でも表現できる言葉です。聖霊の言葉、福音の言葉は、閉じた心と無関心、分裂、争いに打ち勝つようわたしたちを招く、交わりの言葉なのです。」
「謙遜と勇気をもって福音を生きられますように。主が人生にもたらした気高さ、希望、喜びを証することができますように。心の中に『福音宣教の楽しみと慰めに満ちた喜び』を感じましょう。自分の中に閉じこもることは苦々しさをもたらしますが、主がこの世界にもたらした喜びと希望を告げることは私たちの心を高揚させます。」
教皇様のツイート■
5月16日(木)
「パート・タイムのキリスト教徒であってはなりません。私たちは、信仰を毎日、あらゆる瞬間に生きようとすべきです。」
5月17日(金)
「私たちの生活は、隅々まで神の存在によって満たされているでしょうか。日々の生活の中で、どれほど多くのものが、本当は神がいるべき場所を占めていることでしょう。」
5月18日(土)
「私たちはマリアから学ばなければなりません。自分の人生に、いつでも無条件にキリストを受け入れることができたマリアに倣いましょう。」
5月19日(日)
聖霊は私たちを変化させてもう一度新らしくし、調和と一致を与え、使命を果たすための勇気と喜びを与えて下さいます。」
5月21日(火)
「私は、オクラホマ州で発生した竜巻で亡くなった全ての方々のご家族、特に子どもたちを失ったご家族に寄り添います。私と一緒に、その方々のために祈って下さい。」
5月22日(水)
「福音に従って生きるとは、利己心と戦うということです。福音とはゆるしと平和であり、神からやって来る愛です。」