祈りの小箱(72)『隠れた傲慢』


『隠れた傲慢』
 大きな失敗をしたり、思いがけないことで計画が狂ったりすると、わたしたちは「もうだめだ。どうせわたしなんか」と思って落ち込んだり、自暴自棄になったりします。とても自然な心の動きだと思いますが、なぜそうなるのか不思議でもあります。なぜわたしたちは、起こった出来事をありのままに受け入れられないのでしょうか。
 それは、心のどこかに「こんなはずではなかった」という思いが隠れているからだと思います。何か失敗したとするなら「わたしはもっとできる人間なのに。こんなはずではなかった」という思いが、計画が狂ったとするなら「わたしはこんな場所にいる人間ではないのに。こんなはずではなかった」、そのような思いが「もうだめだ」という言葉の前に隠れているのです。自分は優れている、こんな場所にいるはずではない、そのような思いがわたしたちを打ちのめし、絶望の淵にさえ追いやっていくのです。すぐに「もうだめだ」と思う人は、実は自分に大きすぎる期待をして、ある種の傲慢に陥っているのかもしれません。私たちを苦しめているのは、起こった出来事ではなく、実は自分自身なのです。
 自分に大きすぎる期待がないならば、どんな結果が起こったとしても「自分はこの程度のものだ」と思ってしっかりと受け止めることができます。起こった結果に打ちのめされるようなことは決してないのです。以前に「落ち込むのは、いるべき場所よりずっと高くに自分を置くから」という言葉を紹介しましたが、打ちのめされる人は、自分を置いた高い場所から落ちるからこそ打ちのめされるのです。ありのままの無力な自分を、それでも神様から愛されている自分として受け入れられた人は、決して「もうだめだ」と思うことがありません。何が起こっても当然のこととして受けとめ、祈りながら乗り越えていくことができるでしょう。無力な自分を受け入れられた人、自分は弱いと分かっている人こそ、実は一番強いのです。
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