祈りの小箱(141)『真の謙遜』


『真の謙遜』
 「わたしは何でもできる」と言う人がいれば、「この人は何か勘違いしている」とほとんどの人が思うでしょう。たとえどれほどお金や権力があっても、何でもできる人間などいるはずがないからです。ですが、「わたしは何もできませんから」という言葉は、つい自分自身でも口にしてしまいがちです。たくさんの仕事を頼まれたときや、大きな困難に直面して自分の無力さに打ちのめされたときなど、逃げ口上のようにして「わたしは何もできませんから」と言ってしまうのです。
 ですが、「わたしは何もできません」というのは、「わたしは何でもできる」というのと同じくらい間違っているとわたしは思います。なぜなら、神様はわたしたち一人ひとりに、必ずかけがえのないよさを与えて下さっているからです。世間の目を引くような華々しいことでなかったとしても、ある人には根気よく部屋を掃除する力、ある人には病人の世話を丁寧にする力、ある人には困っている人の話を辛抱強く聞く力、それぞれにかけがえのない素晴らしい力を与えられているのです。「わたしは何もできない」というと一見、謙遜にも見えますが、それは違います。「わたしは何もできない」というのは、神様から与えられたよさをあえて否定するということであり、「わたしは何でもできる」というのと同じくらいに間違ったことなのです。神様が与えて下さったよさまで否定する人は、「わたしは何でもできる」というのと逆の意味で、自分を神のようにしている人なのです。
 本当に謙遜な人とは、自分の強さと弱さを過大にも過小にも評価せず、ありのままに受け入れられる人のことでしょう。神様が与えて下さったよさを神様が与えて下さった強さも弱さも、あるがままに受け入れられた人こそ、神様の前に身を低くした人、神様の前で謙遜な人なのです。神様の前に跪いた心で、神様から与えられたよさを、神様の御旨の実現のために使ってゆきたいと思います。
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