祈りの小箱(75)『私たちを追いつめるもの』


『私たちを追いつめるもの』
 仕事で大きな失敗をしてしまったとき、うまく昇進できなかったり、試験に失敗したりして人生の計画が大きく狂ってしまったとき、わたしたちはつい「もうだめだ」と思ってしまいます。こんな失敗をした自分、こんな場所にとどまっている自分には生きるている価値がない、「もうだめだ」と思い込んでしまうのです。ですが、なぜ「もうだめだ」と思う必要があるのでしょう。なぜ、起こった出来事を淡々と受け入れることができないのでしょう。それは、悪い意味でのプライドのせいだと思います。
 例えば、わたしがマニラのスラム街で出会った人々は、貧しいけれども決して絶望はしていませんでした。トタン屋根のみすぼらしい家に住み、ゴミを拾って暮らす境遇は、彼らが「もうだめだ」と思ったとしても仕方がないくらい惨めなものです。ですが、絶望してあきらめる人はほとんどいません。彼らは自分に与えられた環境をありのままに受け止め、なんとかしてそこから這い上がるために懸命に働いているのです。彼らは、貧しさの中で世間的な意味でのプライドをこなごなに打ち砕かれました。彼らは、自分の弱さ、惨めさを痛いほどよく知っています。彼らに残されたプライドは、ただ「神から愛されている」ということだけです。だからこそ彼らは、どんな境遇に置かれても絶望することがないのだと思います。プライドを打ち砕かれ、等身大の自分を受け入れた彼らには、もはや怖いものなどありません。
 ところが、日本では例えば「仕事がうまくいかず、思った通りの地位に着けなかった」ということだけでも絶望してしまう人がいます。スラム街の人たちから見れば、仕事があることだけでも十分に喜ぶべきことなのに、彼らは絶望してしまうのです。それは、その人の心にあるプライドのためだと思います。「自分はもっとできる人間なのに、こんなところに取り残されてしまった。こんなはずではなかった」という思いが、その人を絶望の淵に追いやるのかもしれません。彼らを追いつめるのは、起こった出来事ではなく、実は自分のプライドなのです。それまでの人生で大きな挫折を経験せず、何でも自分の思った通りになると思って生きてきた人ほど、小さなことでつまずき、立ち上がれなくなってしまうのもプライドのためでしょう。
 自分を苦しめるだけのプライドなど、捨ててしまうのが一番です。わたしたちのプライドは、「神から愛されている」ということだけで十分です。もう自分で自分を苦しめるのはやめましょう。自分をゆるしてあげましょう。
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