マニラ日記(9)精密検査


9月25日(土) 精密検査
 精密検査の続きを受けるために、今日も午前中Medical Cityに行ってきた。英語を流暢に話す、親切で器用な看護師さんたちがてきぱきと検査を進めてくれたので、1時間ほどで検査は無事に終了した。
 しかし、驚いたのは検査の費用だ。なんと総額7,000ペソ(14,000円)だという。日本の感覚から言えば、保険が効かない外国での検査でそのくらいの出費はやむを得ないというところだろうが、もしこの国の貧しい人たちがわたしと同じ状況に陥ったらどうなるのだろう。この国にはそもそも国民健康保険のシステムがない。
 10年前のことだが、病院での検査費用についてスラムの人たちから悩みを聞かされたことが何度かある。ある家を訪問すると、40代の働き盛りの父親が病の床に臥せっており、その周りで子どもたちが遊んでいた。奥さんに事情を聴くと、この男性はある日いつものようにジプニーの運転の仕事を終えて帰ってきたのだが、夜になって急に首の痛みを訴え始めたそうだ。奥さんは心配して近くの病院に彼を連れて行ったが、原因はまったくわからなかった。さらに調べようと思えばCTスキャンの検査が必要だと言われたが、費用が5,000ペソもかかる。一家の大黒柱が働けなくなったうえに、そんな巨額のお金を払うことなどできるはずもなく、この男性はそれ以来半年以上にわたって原因不明の痛みと戦いながら臥せっているのだという。
 別の家では、まだ30代の若いお母さんが臥せっていた。本人に事情を聞くと、母親も祖母も卵巣がんが原因で亡くなっていて、自分の症状もそれにそっくりだからおそらく卵巣がんだと思うが、確認するための検査を受ける費用がないという。残される幼い子どもたちが不憫でならないと涙する女性のそばで、わたしもただ涙するしかなかった。
 話を聞いていると、自分のお小遣いからでもなんとか援助してあげたいという気持ちになったが、それは修道会によって厳しく禁じられていた。スラム街には同じような悩みを抱えた人が何百人も何千人もいる。その中の1家族だけを助けたことがわかれば、スラム街の共同体と修道会の信頼関係、さらにはその家族とスラム街の共同体の信頼関係にひびを入れることになるからだ。共同体全体のために役立つ寄付はしても、個人のためには援助しないというのが原則なのだ。
 検査の費用を現金で支払いながら、あのとき床に臥せっていた男性や女性の顔、なすすべもなく彼らを見つめていた家族の顔が思い浮かんで心が痛んだ。1日も早く、この国全体の人たちが十分な医療を受けられる日が来ることを祈らずにいられなかった。
※写真の解説…Medical Cityの中庭にて。