バイブル・エッセイ(483)満足すること、分かち合うこと


満足すること、分かち合うこと
 そのとき、群衆はヨハネに、「わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。(ルカ3:10-14)
「わたしたちはどうすればよいのですか」という群衆や徴税人、兵士の問いに、ヨハネが一つひとつ答えてゆきます。洗礼者ヨハネが、迷える人々の相談に乗っている場面です。ヨハネの答えに共通しているのは、①神から与えられたもので満足しなさいということ、そして、②困っている人たちと分かち合いなさいということでしょう。もしわたしたちが「救われるためにどうすればよいのですか」とヨハネに尋ねたとしても、きっと同じ答えが返って来るに違いありません。神から与えられたもので満足し、それを困っている人たちと分かち合うことこそ幸せへの道なのです。
 徴税人や兵士たちは、自分たちに与えられたものに満足できず、他人のものをだまし取ったり、脅し取ったりします。たくさんのものを手に入れ、飲んだり食べたりして自分の欲望を満たすことが幸せだと勘違いしているのです。ですが、どんなに欲望を満たしても、それで幸せになることはできません。欲望が満たされたあとには、必ずまた虚しさがやって来るからです。
 幸せへの道は、むしろ、すでに手に入れたもの、神様から与えられたものに感謝することにあります。デパートのクリスマスセールで新しいものをどんどん買うよりも、すでに持っている服を上手に着こなすこと。美味しい御馳走を買ってくることよりも、いま冷蔵庫の中にあるものを丁寧に使っておいしい料理を作ったりすることの中にこそ幸せがあるのです。幸せは、もうわたしたちの手の中にあると言ってもいいでしょう。幸せになるために必要なのは、すでに与えられたものに感謝することだけなのです。与えられたものに感謝するとき、わたしたちの心は愛のぬくもりで満たされ、幸せになることができるのです。
 群衆は、貧しい人たち、生活するのに最低限の物さえなく困っている人たちを無視していていました。それでは幸せになれない、「分けてやれ」とヨハネは彼らにアドバイスします。わたしたちは、自分の幸せを守るために、持っているものを独り占めにしようとしがちです。ですが、それでは幸せになることができません。持てば持つほど、どうやってこれを守ろうかという心配が生まれ、もっと持っている人たちに対する妬み、自分のものを奪おうとする人たちへの怒りにとりつかれるようになるからです。
 幸せへの道は、むしろ分かち合うことの中にあります。持っているものを誰かに与え、その人が喜んでくれたとき、わたしたちの心に幸せがやって来るのです。どんなにたくさんの物を持っていても、それだけで幸せになることはできません。札束や美術品を眺めたり、外車を撫でたりしても、それだけで幸せになることはできないのです。人間の幸せは、人と人とのあいだに生まれる愛のぬくもりの中にこそあります。分かち合うことで誰かを幸せにできたとき、わたしたちの心は愛のぬくもりで満たされ、幸せになることができるのです。
 幸せになるのは、とても簡単なことだと言っていいでしょう。まだ持っていないものを追いかけるのをやめ、もう持っているものに感謝するだけでいいのです。持っているものを、持っていない人と分かち合うだけでいいのです。欲望に惑わされ、幸せへの道を見失うことがないように祈りましょう。