バイブル・エッセイ(570)愛によって生きる


愛によって生きる
「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」(ルカ20:34-38)
 死後のことについて尋ねる人々に、「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである」とイエスは答えました。つまり、神様とつながっている限りわたしたたちは生きているということ。さらに言えば、神様から離れることこそ、わたしたちにとっての死だということです。
 神様と結ばれている限り、わたしたちは生きることができます。そのために必要なのは、神様に心を閉ざさないこと。いつも神様に向かって心を開いていることです。「自分の思った通りにしよう。自分の力で何とかしよう」と考えているとき、わたしたちの心は自分に向かって開かれ、神に向かって閉ざされています。逆に「神の御旨が行われますように。あなたにわたしのすべてをお委ねします」と祈りながら生きるとき、わたしたちの心は神に向かって開かれています。神に向かって心を開くとき、神の愛がわたしたちの心に流れ込み、わたしたちは生きたものとなります。神の愛で心を満たされているときにこそ、わたしたちは自分の本当の人生を生きられるのです。
 このところ講演会をする機会が多いのですが、講演の前はとても緊張します。「あれも話そう。これも話そうと」と思い巡らしているうちに、「失敗したらどうしよう」と心配になってくるのです。そのままの状態で講演の演壇に立てば、必ず失敗します。途中で生徒たちの反応を見てがっかりしたり、思った通りに話せない自分にいらだったりして、自滅してしまうのです。そんなとき、わたしの心は神様に向かって閉ざされています。神様に心を閉ざし、自分のことしか考えていないのです。
 ですが、「主よ、あなたがこの人たちに伝えたいことを、わたしを使ってお話しください」とよく祈り、そのような気持ちで演壇に立てば、すべてはうまくゆきます。自分では思いつかないようなことまで話し、人々の心に神様の愛をしっかりとどけることができるのです。神様が、話すべき言葉を与えてくださるのです。そのようなとき、わたしは神の愛を届ける者としての本来の自分の姿になり、本当の命を生きていると感じます。
 人生において大切なのは、どれだけ長く生きるかということよりも、どれだけ本来の自分の姿になれるか、どれだけ本当の命を生きられるかということではないでしょうか。本来の自分の姿ではない姿でどんなに長く生きたところで、それは本当に生きていることにはなりません。神に自分を委ね、神の愛に生かされているときだけが、わたしたちの本当の人生なのです。わたしたちの人生の長さは、そのような時間によって測られるべきでしょう。神様の愛に心を開き、「生きている者」になれるよう祈りたいと思います。