バイブル・エッセイ(768)本当の賢さ


本当の賢さ
 エスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』と書いてある。」イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。(マタイ4:1-11)
 創世記で、悪魔の化身である蛇は、「それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ」と言ってエバを誘惑しました。神の言うことに従っては損だ、もっと賢くなれというのです。この場合の賢さは、利害損得に目ざといということでしょう。自分にとって得な行動をするのが賢く、損なことをするのは愚かだというのです。目先の損得だけを考えさせ、神のおきてに背かせようとする。それが悪魔の誘惑の基本パターンだと考えたらよいでしょう。
 荒れ野の誘惑でも、悪魔は同じ方法を使います。「せっかく『神の子』の力を持っているのに、それを使わないのは損だ。神のおきてなんか忘れて、自分のためにその力を使え。悪魔に従って、もっと大きな力を手に入れろ。もっと賢くなれ」、それが悪魔の誘惑なのです。ですが、そのような賢さは決して人間を幸せにしません。本当の賢さは、目先の利害損得を超えて、神のみ旨のままに生きること。目先の利益を度外視して、互いへの愛に生きることの中にこそあるのです。
「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ」と、悪魔はイエスを誘惑しました。目の前にある石をパンに変えられるのに、そうしないのは損だというのです。確かに、イエスは目の前にある石からステーキでも、高級外車でも、プール付きの豪邸でも作ることができたでしょう。ですが、イエスは「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と言ってその誘惑を拒みます。一番大切なのはパンではなく、神の言葉だというのです。
 たとえば、わたしたちが宝くじに当たり、たくさんお金を手に入れたとしましょう。そのお金で、欲しい物を欲しいだけ買ったらそれで幸せになれるでしょうか。食べたいものを、食べたいだけ食べたら幸せになれるでしょうか。そんなことはありません。自分の利益だけを考え、たくさんの物を買い集めてばかりしていれば、人がだんだん離れてゆきます。たくさん物の囲まれながら、誰も自分のことを愛してくれる人がいないのに気づく。それは不幸としか言いようがありません。わたしたちの幸せは、人と人との間に生まれる愛の中にこそあるのです。神のみ旨に従い、家族や友人、すべての人の幸せを考えてそのお金を使うときにだけ、わたしたちは幸せになれるのです。
 次に悪魔は、「神の子なら、神殿の屋根から飛び降りたらどうだ」と誘惑します。たくさんの人に「神の子」としての自分の力を誇示できるのに、そうしないのは損だというのです。ですがイエスは決してその誘惑に乗りません。それは、愚かなことだとわかっているからです。確かに、大きなイベントは、短期的にはたくさんの人を集められるでしょう。ですが、人目を引くような大きなイベントなど、長続きするはずがありません。そんなことで人気を集めても、決して幸せにはなれないのです。自分の力を誇らず、神のみ旨に従って愛に生きる人の周りに、人は自然に集まってきます。
 最後に悪魔は、「自分に従うなら、世界のすべてを支配させる権能を与えよう」と誘惑します。ですが、イエスはその誘惑も拒みます。そんなことをしても幸せになれないとわかっているからです。たとえば、会社で上司のゴマをすり、人の道に外れるようなことをしてどんどん出世したところで、それで幸せになれるでしょうか。権力を手に入れたとしても、そのような人は誰からも愛されず、孤独な最期を迎えることになるに違いありません。謙遜な心で神に従い、愛に生きる人こそ、誰からも尊敬される偉大な人なのです。
 目先の利益だけを考えて行動する人は、どんなに頭がよかったとしても賢いとは言えません。利害損得を超えて、神のみ旨に従い、愛に生きることこそが本当の賢さなのです。悪魔の誘惑に乗らないために、そのことをしっかり心に刻みましょう。