バイブル・エッセイ(859)三位一体の救い

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三位一体の救い

「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」(ヨハネ14:15-16、23b-26)

「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む」とイエスは言います。イエスの言葉を受け入れ、それに従うとき、わたしたちの心を父なる神の愛が満たすと言っていいでしょう。父と子は、その意味で一つなのです。では、今日祝う聖霊とはなんでしょう。聖霊とは、イエスの言葉をわたしたちに思い起こさせ、心に深く沁み込ませてくださる方、父なる神の愛でわたしたちの心を満たしてくださる方だとわたしは思います。
 このような父、子、聖霊、三位一体の救いの神秘を、わたしたちは日々体験しています。たとえば、わたしは仕事が忙しくて疲れが溜まり始めると、つい愚痴を言い始めます。「わたしはこんなにして上げたのに、相手は何もしてくれない」とか、「どうしてわたしばかりこんなに忙しいんだ」と周りの人たちを責め始めるのです。疲れが溜まると、相手を思いやるゆとりを失い、エゴが肥大化すると言ってもいいかしもれません。そんなときにふと、「いや、相手だって精一杯にやってくれているんだ。このような仕事をさせてもらっただけでも感謝すべきではないだろうか」という気持ちが湧き上がって来ることがあります。これが、聖霊の働きだとわたしは思います。
 聖霊が働くと、「互いにゆるし合いなさい、愛し合いなさい」と言われたイエスの言葉が思い出され、「こんなことではいけない」と思って相手に感謝する気持ちが生まれてきます。すると、それまで心を満たしていた怒りや憎しみは消え去り、心を愛が満たしてゆくのです。父なる神の愛が心に注がれ、心を満たすと言ってもいいでしょう。こうしてわたしは、エゴへの従属から解放され、「神の子」としての平和を取り戻すのです。
 心が神の愛で満たされるとき、わたしたちの口からは喜びの言葉があふれ出します。そして、自分自身が体験した救い、闇からの解放の体験を、誰かに語らずにはいられなくなるのです。心を満たした愛が、わたしたちをつき動かすと言ってもいいでしょう。聖霊降臨によってイエスの言葉を深く悟り、父なる神の愛で心を満たされた弟子たちは、愛に突き動かされて地の果てまで出かけて行ったのです。
 父、子、聖霊は、こうして三位一体となってわたしたちを救ってくださいます。三位一体というと理解しがたい謎のように思われがちですが、わたしたちは日々、三位一体の神秘の中に生かされているのです。教会を生かしているのは、三位一体の神秘に他ならないのです。イエスの言葉を深く悟り、父なる神の愛で心を満たしていただくために、三位一体の神秘の中で教会をさらに力強く成長させてゆくために、まず、心を開いて聖霊をお迎えすることができるよう祈りましょう。