バイブル・エッセイ(894)愛の誓い

f:id:hiroshisj:20200216184653j:plain

愛の誓い

「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」(マタイ5:33-37)

「一切誓いを立ててはならない。…あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい」とイエスは言います。誓いを立てたところで、人間は自分の心でさえ思うままに動かすことはできない。そのときそのときで、神のみ旨に適う生き方をしなさい。神のみ旨に適うことについては「然り」、反することにはきっぱり「否」と言える確かな信仰を願いなさいということでしょう。

 誓いを立てても、それだけではあまり意味がないということは、たとえば結婚の誓いのことを考えればよくわかるでしょう。どれほど力強く「絶対に君を裏切らないよ」「一生愛し続ける」などと誓っても、その気持ちをいつまでも持ち続けられるという保証はどこにもありません。人間の心は日々、変わってゆきますし、他にもっと心を惹かれる人が現れる可能性だってあるのです。

 大事なのは、大げさな誓いの言葉よりも、その誓いのもとになる相手への思いでしょう。「この人は、神さまが与えてくださったかけがえのない人。この人と共に生きること以外、わたしの幸せはない」と心の底から思っていれば、決して相手を裏切ろうとは思わないし、相手を一生大事に守り抜くことができるでしょう。相手への思いが深ければ、そのときどきで、相手を裏切るようなことについて「否」ときっぱり断れるのです。誓いよりも大切なのは、その根底にある愛の深さだと言っていいでしょう。

 逆に言えば、然りは然り、否は否ときっぱり言い続けることこそが、愛を守ることだとも言えるでしょう。誘惑や迷いは必ずやってきます。そのときに、それらをきっぱり退ける。それこそが、愛を守るということなのです。そのときどきに、自分にとって一番大切なものは何かを確かめ、迷わずに誘惑を退け続ける。その結果が、永久に変わらぬ愛であり、揺るぎのない結婚の絆なのです。

 結婚だけでなく、すべての誓いについて、同じことが言えると思います。大切なのは、誓いの言葉そのものよりも、その人の心に宿った愛の深さなのです。神さまに対して忠実を誓うなら、神さまへの愛の深さが問われるし、信徒に奉仕を誓うなら、信徒への愛の深さが問われます。口先だけの誓いの言葉には、ほとんど意味がないのです。

 神さまを心の底から愛し、神さまこそが自分にとって何よりも大切な方だと深く自覚している人は、どんな誘惑がやって来ても迷うことがありません。きっぱり「否」と退けて、ぶれないまっすぐな人生を歩み続けることができるのです。相手の大切さに気付くことによって、日々相手へ愛を深めてゆくことができるように、どんなときでも然りは然り、否は否と答えられるように心から祈りましょう。

※このブログに掲載中の「バイブル・エッセイ」から、選りすぐられた40篇を収録したエッセイ集『あなたはわたしの愛する子~心にひびく聖書の言葉』が刊行されることになりました。わかりやすい言葉で、神さまの愛をまっすぐ心に届けます。どうぞお楽しみに。教文館刊 3月9日発売予定定価 1100円(税込み)

※現在、イーショップ教文館にて予約受付中

https://shop-kyobunkwan.com/4764264668.html