つなぎとめる使命
「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18:15-21)
「あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる」とイエスは言います。この言葉は、教会にゆるしの権威が与えられたというより、ゆるす使命が与えられたと受け止めるべきでしょう。もし誰かが悪いことをすれば、2人きりでじっくり時間をかけて話し合い、それでもだめなら何人か一緒に行って共に話し合い、それでもだめなら教会当局を交えてゆっくり話し合いなさいとイエスが言うのは、ゆるし、つなぐ使命を果たすために、あらゆる努力を惜しんではならない。努力もせずに、自分勝手な判断で相手を断罪するようなことがあってはならないという意味なのです。何とかしてすべての人をつなぎ、すべての人を救いたい。イエスの願いは、ただそれだけなのです。
9月1日から、フランシスコ教皇の呼びかけによる「すべてのいのちを守るための月間」が始まりました。回勅『ラウダート・シ』のメッセージを思い起こし、地球環境とそこに住む人間を守る決意を新たにするための期間です。『ラウダート・シ』の中で教皇様は、「存在するすべてのものの中に映し出される神を見るとき、わたしたちの心は、すべての被造物のゆえに主を賛美し、すべての被造物と一つになって主を礼拝したいという願望に動かされます」(87)とおっしゃいました。すべての被造物のうちに神を見るとき、わたしたちはすべての被造物を愛し、すべての被造物と共に神を賛美せずにいられなくなるというのです。
今日の福音の箇所にこの言葉を当てはめるなら、わたしたちに対して罪を犯した相手であっても、かけがえのない被造物。その人のうちに神を見出すならば、わたしたちはその相手を何とかつなぎとめ、その人と共に神を賛美するためにあらゆる努力を惜しむべきでないということになるでしょう。わたしたちの悪口を言ったり、いやがらせをしたりするような相手であっても、かけがえのない神さまの子どもであって、神さまはその人を何とか救いたいと願っている。そのことを思い出すとき、わたしたちは相手を簡単に切り捨てることができなくなるはずです。「説得の努力をしなければならない」と義務のように考えるのではなく、「説得せずにいられない」と思うようになるのです。
「どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる」ともイエスは言います。わたしたちが互いの中に神を見出すとき、神はわたしたちの間におられます。神の愛があるところには、確かに神がおられるのです。神の愛に結ばれ、神と共に願うなら、その願いがかなえられないはずはありません。神の愛に満たされて祈ること自体が願いの実現、救いの実現だといってもいいくらいです。誰かと心を一つにして祈るとき、わたしたちの間には天国があり、わたしたちの心は救いの喜びに満たされるのです。
今年は、コロナ禍の中での「すべてのいのちを守るための月間」となりました。ウイルスによって生命を脅かされているすべての人のため、コロナ禍の影響によって生活を脅かされ、生命の危機に追いやられている人たちのため、心を合わせてお祈りしましょう。わたしたちの間に、神が共にいてくださいますように。