バイブル・エッセイ(1081)信じるために

信じるために

 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。(ヨハネ20:19-31)

 イエスが復活して弟子たちに現れたことを信じなかったトマスに、イエスは「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」といいました。これは、トマスだけでなく、実際にイエスと会ったことがないわたしたちにも向けられた言葉といってよいでしょう。ですが、いったいどうしたら、見たことがないものを信じられるのでしょう。そもそも、信じるとはどういうことなのでしょうか。

 「人から言われたから信じる」とか、「納得はいかないが、口先ではそうだと認める」、ということでは、信じたことにならないでしょう。なぜなら、それでは心が大きな喜びで満たされることがないからです。ペトロの書簡に、「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています」とある通り、信じる人には必ず大きな喜びが伴います。もし喜びがないなら、それはつまり、十分に信じていないということなのです。

 では、信じるとはどういうことでしょう。目には見えないけれども、イエスがわたしと共にいてわたしを愛してくださっているのを確かに感じる。だから、目には見えないけれども、イエスの愛を信じずにはいられない。それが、信じるということだと思います。確かに自分は愛されていると実感するとき、わたしたちの心は大きな喜びで満たされます。その喜びこそ、わたしたちが信じていることの証なのです。

 では、どうしたら、目には見えないイエスの愛を実感することができるのでしょうか。一番簡単なのは、自分自身と向かい合うことだと思います。イエスはわたしたちの中に生きておられるからです。どんなときでもわたしたちの心の奥深くにあり、わたしたちに寄り添い、わたしたちを力づけ、わたしたちを導く神さまの愛。それこそ、イエス・キリストなのです。

 心を静かにして自分自身と向かい合うとき、もし自分の心の中に、「苦しんでいる人、困っている人のために、なにかせずにはいられない」という気持ちや、「喧嘩してしまったあの人と、また仲良くなりたい」というような気持ちを見つけたなら、それがイエス・キリストだと思ったらよいでしょう。そのような思いは、わたしたちの心に宿ったキリストの愛なのです。キリストの愛を受け入れ、その言葉に導かれて生きるとき、わたしたちの心は大きな喜びと力に満たされます。

 そのように自分自身を見つめ、自分の心の中にイエスを見つけ出す時間。それを、キリスト教では祈りと呼びます。深い祈りの中で、目には見えないけれど、こんなわたしの中にもイエスがいる。イエスが確かにわたしを導き、わたしを生かし、深い迷いの中からわたしを救いだそうとしておられる。そう実感しながら日々を生きることこそ、イエスを信じて生きるということなのです。信じるためには、祈りの時間がどうしても必要です。忙しい毎日の中にも祈りの時間を確保し、目に見えないイエスの存在を確信して生きる者、「信じない者ではなく、信じる者」となることができますように。

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