バイブル・エッセイ(1025)共にいてくださる方

共にいてくださる方

 その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。(ヨハネ21:1-14)

 ガリラヤ湖畔で、イエスが弟子たちと出会う場面が読まれました。この場面には、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と約束されたイエスが、どのようにしてわたしたちと共にいてくださるかということがはっきり書かれています。イエスはいつもわたしたちと共にいて、わたしたちを見守り、導き、もてなしてくださる方なのです。

 この場面は、岸から弟子たちを見守っていたイエスが、弟子たちに、「子たちよ、何か食べる物があるか」と問いかけることから始まります。弟子たちの漁を父親のような気持ちで遠くから見守り、心配になって思わず、「大丈夫か。お腹を空かせてはいないか」と声をかけてしまう方。それがイエスだというのです。

 イエスは同じように、いつもわたしたちを見守っていてくださいます。父親が子どもを心配するような気持ちでわたしたちの様子を見守り、「疲れていないか、しっかり食べているか、よく眠れているか」とわたしたちのことを気にかけてくださっているのです。どんなに努力してもなかなか結果が出ない。誰も自分の努力を認めてくれず、心配してもくれない。そんなことが、わたしたちの人生にはときどきあります。しかし、そんなときでも、イエスだけはわたしたちを見捨てることなく、いつもあたたかなまなざしで見守り続けていてくださるのです。

 次にイエスは、「舟の右側に網を打ちなさい」と弟子たちに声をかけます。もしかすると弟子たちは、これまでの経験から「魚はきっと左側にいる」と思い込んでいたのかもしれません。そして、左側に投げ続けた結果何も獲れず、疲れ果て、漁をあきらめかけていたのです。そんな弟子たちにイエスは、思い込みを捨て、反対側に網を投げてみなさいとアドバイスしたのです。結果は、網が破れるほどの大漁でした。

 イエスは同じように、わたしたちも導いてくださいます。自分の狭い思い込みにとらわれ、どうしていいかわからなくなっているとき、イエスはわたしたちに、「試しに、その逆の方に投げてみなさい」とやさしくアドバイスしてくださるのです。「こうでなければだめだ」とか、「あの人だけは絶対にゆるせない」というような思い込みを捨て、「主よ、どうしたらよいでしょうか」と謙虚な心でイエスに問いかけるなら、イエスはきっと、わたしたちを導いてくださるはずです。

 最後にイエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と弟子たちに声をかけました。弟子たちが漁をしているあいだに、イエスはどこからかパンと魚を手に入れ、弟子たちのために準備して待っていてくださったのです。復活したイエスは、弟子たちをいたわり、弟子たちをもてなしてくださる方なのです。

 イエスは同じように、わたしたちももてなしてくださいます。1週間働いて疲れ切ったわたしたちをミサの食卓に招き、たくさんの恵みでもてなしてくださるのです。聖書の言葉を聞き、御聖体を頂き、仲間たちと心を一つにして祈る中で、わたしたちの心は、再び生きる力で満たされていきます。復活したイエスは、わたしたちをもてなし、生きる力を与えてくださる方なのです。イエスが見守り、導き、もてなしてくださるのですから、何も心配する必要はありません。復活したイエスと共に、この道を力強く進んでゆけるよう祈りましょう。

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