バイブル・エッセイ(1074)愛に目を開く

愛に目を開く

 イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。近所の人々や、彼が物乞いであったのを前に見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」と言った。「その人だ」と言う者もいれば、「いや違う。似ているだけだ」と言う者もいた。本人は、「わたしがそうなのです」と言った。人々は、前に盲人であった人をファリサイ派の人々のところへ連れて行った。イエスが土をこねてその目を開けられたのは、安息日のことであった。そこで、ファリサイ派の人々も、どうして見えるようになったのかと尋ねた。彼は言った。「あの方が、わたしの目にこねた土を塗りました。そして、わたしが洗うと、見えるようになったのです。」ファリサイ派の人々の中には、「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」と言う者もいれば、「どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」と言う者もいた。こうして、彼らの間で意見が分かれた。そこで、人々は盲人であった人に再び言った。「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか。」彼は「あの方は預言者です」と言った。彼らは、「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と言い返し、彼を外に追い出した。イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。彼は答えて言った。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」イエスは言われた。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」彼は、「主よ、信じます」と言って、ひざまずいた。(ヨハネ9:1.6-9.13-17.34-38)

 目を開かれた人に向かって、イエスが「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ」という、とても印象的な場面が読まれました。目を開かれた人は、迷わず「信じます」と答えました。確かに、彼の目は見えるようになっていたのです。

 目を開かれた人は、そこに何を見たのでしょう。彼が見たのは、道端に座って物乞いをしていた彼を憐れに思い、彼の目を開いてくれた人。慈しみ深く相手を見つめ、相手のために自分を喜んで差し出す人。何の迷いもなく隣人愛を実践し、まっすぐに生きる清らかな心の人でした。その姿を見たとき、彼は、「この人こそ、間違いなくわたしたちの救い主、メシアだ」と確信し、イエスを信じたのです。

 逆に、すべてが見えているのに信じない人たちもいました。それは、ファリサイ派の人たちです。イエスが盲人の目を開いたという事実に直面しながら、彼らは「安息日に目を開くなんてけしからん。イエスは罪びとだ」と主張し、自分たちの中でさえ仲間割れを起こして言い争ったのです。彼らの目は、見えていたはずなのに見えなくなっていました。安息日の規定一つにこだわってイエスを罪人よばわりし、自分たちを正当化しようとしたのです。もしかすると、盲人のために何もできなかった自分たちが、責められているように感じたのかもしれません。ユダヤ教のエリートとしてのプライドが、ファリサイ派の人々の目をふさいでしまったといってよいでしょう。

 「見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる」とイエスがいったのは、まさにその通りでした。イエスの愛に触れて癒された人たちの心は、「神は愛である」という事実に対してはっきりと開かれ、神の愛を生きるイエスをメシアとして受け入れた。それを見ていた人たちの心は、「自分たちの方が正しい」というプライドによってくもらされ、見えなくなってしまったということです。

 パウロは、「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい」といっています。「イエスと出会う前は、神が愛であるということの本当の意味を知らず、希望を失って闇の中にいた。しかし、イエスと結ばれたいま、わたしたちの心は希望で満たされ、顔は喜びに光り輝いている。その光を失ってはならない」ということでしょう。

 「自分の方が正しい」という思いにしがみつくとき、わたしたちは愛から切り離され、光を失います。「相手の方が悪いのに、なぜこちらから歩みよらなければならないのか」「自業自得で苦しんでいるのに、なぜわたしが助けてやらなければならないのか」などと言い張って愛を退けるとき、わたしたちの目は見えなくなり、光を失うのです。イエスが、わたしたちの目を開き、自分を正当化しようとするプライドを取り去ってくださるように。いつも愛に目を開き、光の子として歩むことができるように、心を合わせてお祈りしましょう。

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